2011年7月27日水曜日

生きるスタイルが美しい人

楽しく暮らすとは感情を大切にして、より気持ちのいい感情体験を目的にすることだ。それこそが「自己実現」に他ならない。自己実現というとなにか大きな目標を達成することだと考える人がいる。そのため後ずさりして行動できなくなる人が多い。

感情の満足である。
あなたは誰かが作ったラブロマンスに涙するために生まれてきたわけでも、生きているわけでもない。参考にして映画のように生きてみるのはいい。でもそこまでだ、後は最高の感情体験をするために、クリエイティブに自分が行動するのだ。

そのためにPDCAを楽しむ。実は最高の感情体験をするためのプロセスにこそ、最高の感情体験を超える至福の感情体験がある。プロセスつまりPDCAというとビジネスのように感じる人がいる。

ビジネスとラブロマンスはどこが違うのか?感情の満足を目的にした人間関係でる点では変わらない。ビジネスはお金、他人事で割り切れると誤解しているか、自身がそうだからだろう。ほとんどの人がね。

それは本当の自分を抑え込むことに慣れる鍛錬になってはしないか。役割性格を育む力になっても、同時に「こんなものでしょう」と手抜き仕事を普通にできる麻痺の効果を働かす。

先日、原田芳雄氏が他界した。死の数日前に決して観客に見せたくなかっただろう変わり果てた姿を表した思いに「こんなものでしょう」は微塵も感じられない。彼にとって映画はビジネスだが、彼は感情を大切にした。その本物の感情に触れる時、私たちはうろたえながら幸福な気分になり、励まされる。ビジネスとラブロマンスの垣根はない。それは生きるスタイルの問題だ。

生きるスタイルが美しい人になりたい。夏目雅子が案つかしい。

2011年7月21日木曜日

グリーン・ホーネット



代表的なアメコミのひとつ「グリーン・ホーネット」の映画版に、「結果の出ない努力は意味がない」というセリフが繰り返し登場する。おバカ映画だけど、大事なことをメッセージしてくるね。

働き方には2つのポリシーがあり、結果主義と努力を評価する。成果主義は結果を出すことをモットーとする。成果主義がなかなか日本になじめないのは理解不足と伝統的な考え方が影響している。

結果を出せない努力に全く意味がないとは思えない。しかし改善するべきことはたくさん潜んでいる。目的、目標をどう考えているのか、再検証したほうがいい。

たとえば恋愛。人を好きになるとき、理由もなければ、時も場所も選ばない。一瞬の出来事である場合も少なくない。こんなとき、目的は?目標は?と訊かれても、「結婚したい」「交際したい」と明確な答えが出ることもない。だからと言ってそのままズルズル好きというだけでは、時間が過ぎていくだけでもったいない。

ズルズルの中で気持ちも好きという気持ちも固まり、恋しい気持ちは高ぶる。しかし目標のない行動は、ただ気を紛らわせているのと変わらない。漂流暮らしだ。これではいけないと限界に達するまで行動は起こらない。誤解されないように言っておくが、十分に考えずに行動することを奨めるわけではない。

目的と目標が曖昧なまま、気持ちだけが高じると「感情的な行動」に陥りやすい。
感情を大切にすることと「感情的な行動」は真逆の行動だ。感情を大切にして目的にしていたら、自分が何を求めているのかはっきりと明確になる。温もりのある人間関係を築くことが目的で、それを実現するために「あの人」という固有の相手との交際が目標になる。

 人はひとりひとり違うから、実際には目的も目標も想像以上にいろんなものがある。事実は小説よりも奇なりだ。それでも目標がはっきりしたら、自分がどういう態度、行動で接するのがいいか、具体的なイメージができる。互いに自分と相手を尊重するというごく当たり前のスタート地点に立てる。目的と目標が曖昧なまま、「好き」だけが疾走したらどうなるか、結果は明白だ。分らなかった荒れ狂う台風に氾濫する河川や海の映像を見たらいい。

私たちは、感情のために生きている。自分をどうしたいのか。感情を目的に据えて、行動を目標に置くのだ。原因があって結果になる。目的と目標に対する行動が原因になる。夢を実現しよう。



2011年7月4日月曜日

脱お金

節電の背景はされおき、どうせ節電するなら楽しもう。

楽しむには、はっきりとポリシーを持ったほうがいいね。
そこで思ったことは、長い間人類は課税される代わりにお金を使うことを強制され続けてきた。
課税もされているけれどね。言葉が国と民間で違うだけで、民間会社に支払うように、国に支払ってるわけだ。
消費税上げますという話は、値上げしますって話だ。

つまりもともと人間がやっていたことを、商品に変える作業を延々とやり続けてきたわけだよ。
そこでいい方法を見つけては海外から輸入して商品化してきた。

その挙句に、原子力という商品に欠陥があったというわけで、本当ならリコールするはずのことを、代替品ががないので我慢して使えというのが節電というわけだ。

そこで考えたんだが、なんでも自分でやるというのが、節電も含めたポリシーだね。
クーラーの代わりに団扇を使う。自分で自分を冷やすんだ。
当然、外食もしないぜ、もうこれからは。

よくよく考えると貧富の差って、いまは階級社会ではないから、能力の差というわけだ。取柄がないと困るんだよね。
で、お金を使わない暮らしになると、取柄の価値も変わる。

お金を使う社会を前提にしての価値だからね。
いいなりに節電するより、お金使わない生き方に変えますと生き方革命をやったらどうだい。
そっちの方が断然おもしろいだろう。

脱原発なって面倒くさいこと言ってないで、少なくともいままでの半分の支出で暮らしますって言えばどうだ。
失業する?
農業か、漁業したらいいだろう。無理な人がほとんどだろう。だったらお金と引き換えてに渡しているものの価値を変えるしかないんだよ。つまり、個人の取柄の価値が変わることを意味するんだよ。

脱お金を考えたら、今回の震災で被害を受けた人たちが、苦しんでいる正体がなにか見えてくるだろう。

団扇で風を送り込みながら、金輪際、金は使わないぞと考えている。