2013年1月31日木曜日

日本初のカラー長編アニメ映画『白蛇伝』


1958年10月22日に全国劇場公開された日本最初のカラー長編アニメ映画『白蛇伝』は、 人と妖の恋愛を語った中国の民間説話を題材とした見事な作品。

その質の高さに目を見張る。東映東京撮影所内に作った東映動画スタジオで制作、長期間の時間をかけて丁寧に丁寧に作ってある、意欲と良心の結晶は当時のディズニーにひけをとらない。

パンダがこの作品を通じて日本人の前に登場した。声の出演者として今は亡き名優.森繁久彌氏が参加。この作品に賭けた並々ならぬ熱意が伺える。

この作品に続き 安寿と厨子王丸、西遊記、少年猿飛佐助などが制作された。

この時期にまだ宮崎駿は参加していないが、動画への情熱を燃やす磁力がある。


白蛇伝 映像はこちら


2013年1月29日火曜日

星は何でも知っている


1958年とは、海の向こうでは1956年にメジャーデビューし、その存在が大事件となったプレスリーが軍隊に召集された年だが、日本ではおもちゃ箱をひっくり返したように大変なことになった年である。

プレスリーの和製亜流が大ブームとなった「ウエスタンカーニバル」を筆頭に、初代若乃花の大活躍/長嶋茂雄選手デビュー/チキンラーメン/こだま/スーパーカブ/スバル360/フラフープ/野球盤/グリコアーモンドチョコレート/週刊女性自身/関門トンネル開通した。

さらに、赤胴鈴之助/月光仮面ロッテ歌のアルバム/事件記者/パパは何でも知っている/モーガン警部がヒット。映画では嵐を呼ぶ男/風速40米/ 歌の世界では♫おーい中村君/ダイアナ/星は何でも知っているが大流行し、イカす、シビれるが流行語になった。

<星は何でも知っている>は、和製プレスリーとして大人気だったロカビリー歌手の平尾昌章が歌って大流行した

1958年製作の日活映画星は何でも知っているの主題歌に起用されたそうだが、映画が先にあったのか、歌を映画化したのか不明だ。しかし平尾昌章初主演映画とあるので多分歌を映画化したのだろう。

この歌はよく耳に入って来た。というのは、当時はスーパーマーケットはなかったが代わりに公設市場がどこの町にもあり、流行歌が流れていた。子どもが流行歌を耳にする場所として公設市場はもっとも一般的な場所でなかったのではないだろうか。

そのなかでも星は何でも知っている>は鮮烈で♫ 生まれて初めての甘いキッスに胸がふるえて 泣いたのを ♫の一節が印象的だった。



画像をクリックで音楽再生

♫ 星は何でも 知っている
ゆうべあの娘が 泣いたのも
かわいいあの娘の つぶらな
その目に光る 露のあと
生まれて初めての 甘いキッスに
胸がふるえて 泣いたのを

「あの娘を泣かせたのはおいらなんだ。
だってさ、とってもかわいくってさ、
キッスしないでいられなかったんだ。
でもお星さまだって知っているんだ。
あの娘だって悲しくて泣いたんじゃない。
きっときっと、うれしかったんだよ。」

星は何でも 知っている
今夜あの娘の 見る夢も
やさしいナイトが あらわれて
二人でかける 雲の上
木ぼりの人形 にぎってねむる
若いあの娘の 見る夢を♫

2013年1月28日月曜日

七色仮面


最高視聴率 67.8%(東京地区)、平均視聴率40%、というモンスター番組「月光仮面」だったが、真似をした子ども達の事故が相次いだため、アクションシーンを減らすなど調整をしながら継続したが、その責任を追及された形で原作者川内康範氏が訴訟されるに至って番組制作は困難な状況に追い込まれ2年で終了となった。

その後を継いで1959年6月3日に登場したのが東映のドル箱映画「多羅尾伴内」シリーズを下敷きにした「七色仮面」だ。

♫デンデンとろりこ やっつけろ♫

東映が生み出した『七色仮面』は最初から劇場公開も兼ねることを前提に破格の製作費で制作され、出演者も映画畑の俳優で固められ丁寧な作りでアクションも迫力があった。第5部から二代目「七色仮面」として千葉真一が主演した。

内容的にも現代日本を予告するようなドラマになっていて大人も楽しめる質の高い子ども向け作品となった。

尚、「多羅尾伴内」は川内康範氏が考案したものではないが、同氏が創り出した「銀座旋風児シリーズ(小林旭主演)」も多羅尾伴内」をベースにしていて、日活を退社した小林旭氏が多羅尾伴内」シリーズを継承したのは面白い因果関係だ。






2013年1月27日日曜日

怪傑ハリマオ

2月11日は森下仁丹の日。仁丹提供で1960年代に放送された「怪傑ハリマオ」は昭和初期にマレー半島で活動した実在の人物(谷豊氏)に着想を得ている。

福岡県福岡市南区出身で、2歳でマレーシアに渡った後に惨殺された妹の復讐心から華僑相手に盗賊となりハリマオとして伝説の義族として存在した。
その後、日本陸軍の諜報員となって活動したが、病に倒れる。生涯マレーを愛したと言われている。90年代終盤、再評価が高まりその足跡の調査が行われた。


月光仮面





♫ 月の光を背に受けて〜

昭和33年~34年(1958年~1959年)にテレビ放映された月光仮面。

川内康範 脚本の時代劇の番組スポンサーだった武田薬品の降板をなんとか食い止めようとして、急遽企画されたのが始まりで、桑田次郎絵による漫画化、テレビ化、映画化の順で日本に於けるテレビ初の子ども向けヒーロー映画として空前絶後のブームとなった。局は当初東映に制作を依頼したがコストが合わず相手にされず、結局 KRテレビ(現・TBSテレビ)と宣弘社が制作、東映は劇場版を制作し全国公開した。

まだテレビが普及していなかった時期の作品だったので、絶対数では劇場版で実写を見た子どもが多く、テレビ版を見たのはシリーズ途中からのファンが多い。

【感受性の強い子どもにとって、メンコで見ると劇場版とテレビ版の違いは一目で判断がついた。】いまも思い入れが人によって違う。劇場版で列車を追い越すシーンはいまみてもカッコいい。

月光仮面の発想は忍者をオートバイに乗せたイメージから成り立ち薬師如来の脇に侍する月光菩薩から得られた。善玉悪玉共に覆面をしていたのは役者を使わずに撮影できるという苦肉の策だったが、風呂敷とタオルで走り回る子どもたちには知ったことではなく、やがて高度成長期の日本を牽引した。



  • 第1部 どくろ仮面篇 全71回(1話のみ30分、2話以降10分の帯放送だったため)
  • 第2部 バラダイ王国の秘宝 全21回
  • 第3部 マンモス・コング 全11回
  • 第4部 幽霊党の逆襲 全13回
  • 第5部 その復讐に手を出すな 全14回

平均視聴率は40%、最高視聴率は67.8%(東京地区)を記録。『月光仮面は誰でしょう』のレコードは当時の子ども向け楽曲としては異例の10万枚以上を売り上げる大ヒットとなった。

しかしこの空前の大ヒット作は、月光仮面の真似をした子ども達の事故が相次ぎ原作者の川内康範氏が訴訟されるに至って、放送打ち切りに追い込まれた。