2012年1月12日木曜日

君よ、永遠の嘘をついてくれ



あるところで、仕事中に絶対にしてはいけない行動をとった人がいた。
苦し紛れに、その原因をボクのせいにした。それも二度だ。周囲は自分を悪者扱いしたが、幸いに上司は本当を見抜いていて、状況を騒がしくしないためにも、目でボクに知らせた。ひとり我慢してくれということであり、それを拒む事はないだろうと信じてのことだ。その上で上司は当人の気持ちを察して大人の対応をしたおかげで、本当のところでは誰も傷ついていない。
同じことが、別の場所、別の人物でまた起こった。
今度は上司が読めずに、嘘を信じた。否定したら、職を失うだけでなく、笑い者にされてしまうと考えて、 悪者を引き受けた。その後は知らない。今度は当人が傷ついたに違いない。自分もかすり傷程度は受けた。遠山の金さん、大岡越前はやっぱりスゴい。
当然だが、嘘にいい思い出はない。特に第三者を介在させた嘘はいいようになるはずがない。
しかし「永遠の嘘をついてくれ」という歌の場合は事情が変わる。
随分と仲良くしてもらっていて、海外旅行も何度もご一緒したある会社の豪傑社長が退任してから数年したら、ぴったり連絡が途絶えた。猫が人目を避けて死に場所を求めて去って行くように目の前から消えた。 傷ついた獣たちは最後の力で牙をむいているのだから 、こちらもさびしがり屋の強気に知らんフリを決め込んで年末年始には「元気に逝ってくれ」と願っている。
「永遠の嘘をついてくれ」という歌がたまらなく好きだ。


中島みゆきが作り、当人も吉田拓郎も歌っている。特に「つま恋コンサート2006」の競演、ばか騒ぎは何度観ても感情が高まる。
中島みゆきを初めてこんなにもカッコいい人なんだと思い知った。拓郎さんもこれが最高にカッコいい。どちらもいいが、なにより詩がいい、曲がいい。
いますぐニューヨークでも上海でも行きたくなる衝動にかられる。
人は自分以外の人を助けるとか良くする場合を除くと、目的を達成したがるのは、目的そのものでなく達成したときに味わう感情であることが多い。
ということは、かたち的に達成されていなくても、達成されている事がこれ以上ない確かさで 絶対的に感じ取れたら、それでいい。
永遠に、その幸福は続く。種明かしは水をさすだけだ。
言葉で確認していないことは、本人の妄想に過ぎないという人がいるか、果たしてそうだろうか。どうしても言えない場合がある。
♪たとえ、繰り返し、なぜとたずねても
ふり払え、風のように鮮やかに、
人は皆、望む答えだけを聴けるまでも尋ね続けてしまうものだから・・・・
君よ、永遠の嘘をついてくれ・・・・・
目の前の現実に 意味づけするのは自分だ。
自分でできるように、言葉で伝えきれない真実を命こめて伝えてくれていて、こっちにも命こめて受け取る力もある。
人生の奇跡や魔法の、種明かしはしては台無しになるばかりだ。
永遠の嘘をついてくれ・・・この歌を貫いている幸せな「覚悟」が好きだ。







2012年1月5日木曜日

心のバランス、幸福のバランス



あわただしく動いていると、いかにも仕事をしているように見える。
見せかけの勤勉さは、生きる知恵になっても、自分のためにはならない。

実際には じっとしているほうがずっと難しい。
仕事とはあわただしいもの、騒がしいものと教え込まれ、信じてきた人であれば、何もせずじっとしていることはほとんど不可能だ。

さらに甲高い声で奏でられる音楽を癒しにしていると、ますます騒々しさが活動だと勘違いするのも無理はない。

しかし、これだけははっきり確信を持って言える。


立ち止って、一人っきりで、誰からも邪魔されず、静寂のなかに身をおけば頭の中は自然と冴え渡ってくる。

話すのをやめ、耳を澄ませば、心の底から聞こえてくる音がある。声が聴こえてくる。
奇跡が遊んでいるリズムが聴こえてくる。

見えないものが見える人、聞こえないものが聴こえる人は、そのようにするから見えるし、聞こえる。
それがどういうことをもたらすのか。

知りたい人には知ることができる。
人は自分が望む以上のことは決して得られない。


2012年1月3日火曜日

虹の彼方へ行く方法


幸福な成功を成し遂げた者は、毎日同じことを繰り返し言葉にして、繰り返し行動している。
どうだろう?
今日やるべきことを書き出してみよう。
もしそれが7つもあれば、生活のあり方を見直すべきだし、同時に自分のあり方を考えてみたほうがいい。
本気ならひとつしか書き出してはいけない。最大で3つだと思うが、ほとんどの社会人ならそうはいかないだろう。
心理学者ウィリアム・ジェムズは「 賢さとは、何を無視すべきかを知っていることである。」だと言ったが、人生を台無しにしたくなければそれに従うべきだ。

ある講演で、一番大事なことはなにかと質問された時、思わず「本気です」と答えた。
後で答えになっていないと思ったが、実は答えなのだ。
答えになっていないと思ったのは、質問者には理解できないだろうと思ったからだ。
もっと丁寧に答えるべきだが、それでは同じ話を最初からリプレイしなければならない。
ウ〜ン、難しいと思ったものだ。

仕事人間は、どんな小さなことも見過ごせない。
感情のコントロールが上手でない人も同じだ。
起きている間、常にアンテナを張りめぐらし、他人のたいして気にしていない言動にも、気を回してどんなことでも受けて立つ態勢を整えている。
それでは物事をシンプルに考え、生活を簡素にすることは決してできない。
自分の場合、旅をしながら仕事をして、人を愛して暮らすのが理想だと考えている。
その気持ち良さを体験したら、生活はシンプルが一番だと考えるようになっても無理はないと思う。
だからそのように時間をかけて創ってきたが、 願いが実現できたわけでもなく、まだまだシンプルになれると信じている。





私たちは、数えきれない種類の獲物を追う猟犬のように飼いならされている。
ほとんど人は、飼い主が誰かさえも分からないでいるが、自分には見当がついていて、そこからの解放を仕事にしているといっても言い過ぎではない。
私たちは獲物の臭いを片っ端から次々に嘆ぎとっていくが、決して獲物にありつくことはないようにできている。
やることはいっぱいだが、自分の気持ちの整理といえば全くお構いなしだ。
どこにでもゴミを捨てる人が増殖するが、心のゴミの始末も他人に押し付けて平気だ。
捨てられたゴミは税金を使って処理されるが、他人に押し付けたゴミは狂気を増殖させ互いに傷つけ合う。
こうして自分を忘れることに事欠かない都会生活者が暮らす都会からゴミの山になっていき、やがて地方に押し付けられる。
あらゆることが中途半端に終わる。
江戸城でも、大阪城でも、いまのテクノロジーをもってしても完成させることはできないことは明白だ。権力だけの問題ではない。集中力がまるで別物なのだと思う。
何が大切かを絞り込んだら、焦点を合わせて、枝葉のことは忘れなければならない。
大切な夢はひとつでいい。
大切な人はたくさんいるが、世界で一番はひとりしかない。
生涯一仕事。
それでいい。


70年前にこの<虹の彼方へ>にこめられた知恵は未だに活かしきれていない。
私たちは賢さを取り戻さなければならない。