ひとつは自由すぎて、何をしたらいいのか分からない人が増えていること。
裏返すと「永遠のゼロ」のヒットがある。どんなものかと思って映画をみたら、同じような話は過去の戦争映画にある。「ホタル」も似たような話だ。
もうひとつは「理想がない」
かって、キング牧師やケネディ大統領にように理想に向かって突き進むリーダーがいた。
たとえば14回映画化された大河小説「人生劇場」では、青成瓢太郎は息子瓢吉に「在り方」を教える場面が登場する。主要登場人物を通して「在り方」を語っている。
この原作を手本にしたものに「青春の門」がある。歌謡曲にもなって歌い継がれた。
思えば、現代に共通していえるのは、「在り方」の欠如だ。
Appleのように、商品の魅力を越えた「在り方」へのあこがれだ。
スティーブ・ジョブズが死ぬまで抱き続けた「在り方」に対峙する魅力。
だからブルーボトルコーヒーのようなところが登場すると、あっと言う間に支持される。
いまの社会には、どんどん欠如している「在り方」への挑戦。
SNSは、その不足をどんどん知らせてくれるツールにもなっている。
見方によれば、とっても面白い社会だ。
ヒトラーは個人的な怒りを政治的な主義主張にすり替え、ドイツ国民を巻き込んで世界を混乱に陥れた。決して怒りは人を幸せにしない。
主体性のない憲法9条をノーベル平和賞にと唱える運動家にも運動することを危惧する。彼らがなにを<在り方>の代わりになにを埋めようとしているのかが気になるからだ。
慰安婦問題の正体を見ると分かるように、そこには<在り方>のかけらもない。
キング牧師のメッセージが胸の打つ理由は、静かに聞けばよくわかる。
自分の得体の知れない怒りを政治にぶつけて対立することで鬱憤をはらすくだらなさは、現代では意味を持たない。
こんなチマチマしたことに一喜一憂せずに、痛快にいこう。キング牧師やケネディ大統領やスティーブ・ジョブスのように。そうすればイスラム国に向かう若者もいなくなる。
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