フリー、シェア、ドギーバッグ・・・これこそがアメリカの文化ではないかと思います。
フリーつまりただのもの、シェア分け合うこと。
この気前良さこそアメリカが大事にしてきたことではないでしょうか。
くれるならなんでももらってしまう。あげる人ももらう人も対等で遠慮しない。
ハリウッドの名優ジョン・ウェインが乗っていた車について本人に「素敵な車ですね」と言ったら車をくれたという話さえある。サンキュー・カーの伝説です(笑)
エルヴィス・プレスリーに至っては、なんでもあげすぎて破産寸前までに至ったという。
さらに成人男子でさえ平らげるのが困難と思われそうな皿いっぱいの料理。それを老婦人が注文する。果たして食べられるのかと心配するけど、心配無用。ちゃんとドギーバッグが用意されています。
日本で営業している「ハードロックカフェ」は、自分にとっては実家のキッチンのような気がするアットホームなレストランで「みのるちゃん、元気?」と親しく声をかけてくれる。「友だちや」とサーバーさん。
ステーキを食べたらもう一枚ステーキプレゼントなんてこともやってのける。食べられないから持って帰ると言ってもイヤな顔をしないのは、本国(イギリス)譲りの気前良さ。おしゃれに美しいドギーバッグを用意してくれます。
フリー、シェア、ドギーバッグ・・・これにもうひとつ。アメリカらしい文化が加わります。それが「自分の選択」つまり「決断」です。
肉の焼き方からドレッシングはなにとテーブルの隅から隅まで聞かれる。
スターバックスはその最たる例でカスタマイズが売り物になっています。
スターバックスはその最たる例でカスタマイズが売り物になっています。
ミルクは牛乳か、無脂肪か、豆乳か・・・といった按排です。
アメリカのレストランでは、定食もコース料理にもぶつからない。
何を食べて、何を飲むかは、自分の選択に委ねられています。お仕着せの料理なんてない。これに反して我が国はどうかというと、定食、コース料理の花盛りで、一部を変えてほしいとお願いしても、できませんと断られることも少なくない。
食べ物だけではないスーパーに行けば「紙袋か、ポリ袋か?」と聞かれる。
アメリカでは、選択と決断を子ども頃から繰り返して大人になっていく。
そういうふうにして育った人間と「どちらでも」と言って育った人間では、違いが出るのは自明の理です。
決めずにいたら、こう言われる。
「よろしいですか?決めるのはあなたであって、食べるのはあなたなんですよ。わたしじゃないんですよ」
「よろしいですか?決めるのはあなたであって、食べるのはあなたなんですよ。わたしじゃないんですよ」
ここまで言われると「人間失格」の烙印を押されたのと変わらない。しかしこれにはまだまだ先があり裏があります。
「決めないあなたは私とシェアしないんですか?(Win-Winの関係を築けないのか)」と言われているのと変わらない。
ファストフードと違い、由緒あるレストランほど、選択肢が多い。それだけ個人を尊重するということに他ならない。併せてチップも必要になる。平均15%のチップを貰えるように、最高のサービスに全力を尽くす。そこには互いの尊重があり、民主主義の原点があります。
いくらのチップを払うか、客はいくつもの決断を繰り返した後に、最後の決断をする。その決断を促すホスピタリティーの力はウエイターの手にある。
なんとも痛快ではないですか。
毎日、無意識に決断を繰り返して老いていく人生と、「どっちでも」と言いながら老いていく人生。
さて、どっちを選びますか?
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さらに
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