2011年3月4日金曜日

優先順位



健全な人なら、社会の階層にも、職種にも、関心がなく、働く自分が幸福かどうかということに関わっているものです。そういう人が圧倒的に少ないとしたら、「士農工商」にポジショニングされてきたDNAが大きく関係しているのかも知れません。

戦後敗戦の焦土から懸命に立ち上がり、その結果を未来に還元する循環に期待をするしかないまま働き続けた人にとって、幸福になりたい願いはいま以上に強かったはずです。

恥じるべきことは、幸福に生きていないことです。

それは誰かからもたらされるものではない。
何のために働くのか、つまり問題の本質は個人の選択のあり方です。

価値は自分の内側にしかないのです。もし外側から与えられるものだとしたら、なんと不自由なことか。何に対して服従しているのかも分らないままストレスを抱えた日々を過ごすほどバカバカしいことはないのです。

やんちゃなこどもの心、アサーティブな大人の態度を体験から学んだ知恵と工夫に融合させて、自分自身にスタンダードなルールを課し、禁欲的に守り続ける潔さを好めば世界は違って見えることでしょう。

たとえば異性にモテるためになにかをすることと、行為の美しさの結果としてモテることは全く違うことです。同じことは学校の勉強にも、仕事にもあてはまります。

優先順位が違っているのです。

情報が氾濫する社会にあって、社会の隅々から、順位を無視したメッセージが送り続けられるからです。

他人のせいにするわけではありませんが、情報を切り分けるスキルを持たないまま、受け取る習慣を身に着けてしまうと、その後、必要なスキルを身に着けることは困難さを伴い続けます。

それらから身を守るために、自分のスタンダードを意識的にキープしたいものです。
そのときには他人のせいにしないで、必須の生きる知恵として取り組みたいものです。

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