2014年8月22日金曜日

Blue Bottle Coffee/ブルーボトルコーヒーがやってくる。




サンフランシスコで人気のコーヒーショップ、“Apple of coffee”コーヒー界のAppleと呼ばれている「Blue Bottle Coffee(ブルーボトルコーヒー)」が日本(東京)上陸します。

Blue Bottle Coffee(ブルーボトルコーヒー)」は、2002年にJames Freeman氏が始めたコーヒー焙煎所。はじめは自分の手で焙煎して、近隣のファーマーズマーケットで販売、やがて港町の倉庫街に焙煎所を立てて、ビート文化〜ヒッピー文化が息づいているアメリカ随一のサブカルチャーの聖地、サンフランシスコ市内にカフェをオープン。

“Apple of coffee”と言われる最大の理由は、ディティールへのこだわり。店の作り込みも似ていると言われています。コーヒーが良質なのは当然だとしても、その提供の仕方にも似たカルチャー、哲学が息づいていると言われています。

さらにApple もBlue Bottle Coffeeも自宅のガレージからスタートをしていることや、創業者の強い思いコンセプトを持っていてディティールにこだわり妥協をしないこととなど共通点が多い点も、コーヒー界の”Apple”に拍車をかけています。


「マイクロブリューコーヒー」「マイクロ・ロースター」「サードウェーブコーヒー」と呼ばれる第三の潮流。1カップずつ丁寧にいれるスタイルは、いま日本でも人気。その芳醇なコーヒーの香りと味わいは、コーヒー界の雄。スターバックスコーヒーに挑むかのようです。


スターバックスコーヒーの味は、確かにおいしいものの、コーヒーとはもっと心を込めて淹れるもので、マニュアル化されて効率化されるものではないというコンセプトをブルー・ボトル・コーヒーが体現するのに成功している点が話題の的です。



10月、東京・清澄白河に日本1号店がオープンします




このページは書き込み中です。更新は続きます。






2014年8月15日金曜日

「いま日本の一日はとてつもなく短い。」と一番長い日に思う。



またまた食品偽装が起こりました。いまもどこかで起こっているのでしょうね。
「木曽路」は利益のために幹部がしたという。幹部は患部に成り下げられる。
気の毒な話だ。
決して安い店ではない。ハレの日に、親に、子どもにと奮発をして食べる店だ。ファストフード店のように、自分のために利用しない。それを知っていて偽装するとは酷すぎる。働いている人には気の毒だが、潰れるべき店だ。「お客様の感動が私たちの喜びです」と恥ずかしいだろう。

「木曽路」は謝罪会見をしたが、朝日新聞は謝罪も謝罪会見どころか、謝罪すらしていない。辿れば、火のないところに火をつけて、靖国参拝をすれば批判が起こるようにしたのも朝日の報道から始まっている。

こんなことのために先人達は飲まず食わずで狂気の時代を走り抜けたのかと思うと悲しい。




私たちはハンバーガーを食べる幸福を無意識に満喫しています。

先日、「NHKスペシャル」でペリリュー島の攻防戦のドキュメンタリー「狂気の戦場 ペリリュー」を見ました。壮絶な戦場です。いまを1944年当時に実現できていたら、悲惨な思いをしなくて済んだのにと思わざるを得ません。

一万人の日本兵士の内、最後まで生き延びたのは僅か34名。瓶の中にサソリと蠍を入れて殺し合いをしたような戦場だったと生き残った方は語る。




ペリリュー島には戦争前に300機が配備されていました。

米軍はレイテ、フィリピンを陥落するためにペリリュー島が鍵だと読んで攻勢をかけます。1944年9月15日、長くても3日もあれば制圧できると上陸作戦が始まりますが、とてつもない地獄の戦場に変わり果てたのです。

抵抗に狂気が高まります。日本人の攻撃は凄まじく、米軍は当時最新鋭の武器で生きたまま日本兵を焼き殺します。

日本軍は忍者のように音もなく反撃し、米兵を切り刻み、死体のペニスを切り取り口に咥えさせます。それを見た米兵の憎悪は高まり、日本兵を殺しまくったと証言します。

憎悪の連鎖の果て、気を取り戻したとき、自身の精神は崩壊していたのです。

兵士の憎悪の連鎖は、国をあげた憎悪に変わり、人類史上最大の悲劇に発展します。


ソ連軍の満州侵略が始まり本土侵略は迫っていた。厭戦気分とソ連の動きに背中を押されたアメリカは終結を急ぎ、人道に適わぬと知っていたはずだが昭和20年8月6日、広島に原爆投下。続き長崎にも投下。日本は完膚なきまでに叩きのめされて、無条件降伏を受け入れる選択肢しか残されていなかった。




「日本のいちばん長い日」は、昭和20年8月14日正午の御前会議におけるポツダム宣言受諾の決定から、翌15日正午のNHKラジオにおける終戦の詔勅の放送までの24時間を描いた骨太なダイナミックな作品。

玉音放送を阻止するために、天皇を守る任務の近衛兵たちが、宮内庁に銃を向ける。半藤一利氏の綿密な取材と証言を基に再現する同名ノンフィクション作品を映画化した緊張感みなぎる傑作。監督・岡本喜八、脚本・橋本忍。そしてモノクロ画面にオールスターキャストが鬼気迫る演技で疾走する。




畏れ多くて面白いと言えばバチがあたりそうだが、ドキドキしてのめり込む。監督岡本喜八は男っぽい作風で名作を多発しているが、良い脚本に当たると素敵な化学反応する見事な事例。脚本家も同じで良い題材にあたるとやはり素敵な化学反応をする。素敵な化学反応に率いられた俳優陣怒濤の演技で、「いかに終わらせることが難しいか。」を画面いっぱいに漲らせる。

同じようなエネルギーを噴出させたものに「仁義なき戦い」があるが、スケールの大きさでは日本の命運がかかった「日本のいちばん長い日」に軍配があがるのは当然だ。

黒沢年男の演技がオーバーに思えるが考えてみると、焼土となることを省みない当時の青年将校の狂気に同期することは、いくら俳優だからといっても、そこまで要求するのが無理なのだと思う。それほど当時の人々は複雑に必死に狂気だったのだ。
立場は違うが三船敏郎扮する阿南陸軍大臣も同じだ。黒沢年男が銃を向ける加山雄三扮する玉音放送を流そうとするNHKアナウンサーも同じだ。(当時の加山雄三人気はスゴかった。)みんながそれぞれの立場で、責任を果たそうとしていた。
死に物狂いの一日だ。




いま、君は
国と国民を思い狂気になれるものがあるか?

そう突きつけられている気がする。



ストーカー、子どもに危害を与える事件、食品偽装。


いま日本の一日はとてつもなく短い。

その短さに驚愕し、語り継げていないことを反省する一日だ。







246万人の霊に哀悼の誠を捧げる気持ちを大切に。

2014年8月8日金曜日

「鬼畜米英」と戦争をあおり、原爆投下の引き金となった「ポツダム黙殺」大々的に報じた朝日はなぜ反日に転じ国民を貶めるのか?


従軍慰安婦問題をねつ造した朝日新聞


日本人の尊厳を踏みにじった被害甚大な

朝日新聞の誤報とクマラスワミ報告】


クマラスワミ報告とは1996年1月から2月にかけて国連人権委員会に報告された「女性への暴力特別報告」に関する報告書(E/CN.4/1996/53) です。

この元になっているのが、全国各地でしゃべり、その後、一冊の本「私の戦争犯罪: 吉田 清治」です。
http://www.amazon.co.jp/私の戦争犯罪-吉田-清治/dp/4380832317 

後日、書いた自身がフィクションだったと語っています。

あろうことか、朝日新聞は確かな取材も行わず、このデタラメな本に基づき、32年間の誤報及びキャンペーンを展開しました。当時から取材したものの裏付けがとれないと言っていた朝日の記者もいたそうです。

なにより済州島の人々がそんな事実はないと語っていたのです。

朝日は自民党政権を倒すために何度もキャンペーンを張り、圧力に屈した宮沢首相は韓国に8回も謝罪し、河野談話に発展しました。この安易な妥協が後日にツケを回すことになります。河野談話の経緯は安倍内閣で調べ公表されたばかりです。

つまりデマを信じてキャンペーンを張り、時の内閣を追い込み、謝罪させ、その結果、妥協案として韓国の要望を聴き入れながら河野談話を作成。謝罪したのです。世界に恥ずべきはこの一連のことです。

これに対し、朝日の記事は何年も前から多くの識者、マスコミが調査の結果、デタラメだと問題視していましたが、このたび、よくやく間違いであることを認識しました。


マラン事件(白鳥事件)でも分かるように、日本軍の在り方は逆で、女性を強制的に連行した兵士がいることを把握した段階で、当時すでに罰して、戦後死刑にしています。しかし朝日は間違いを認めた後も、この事件を逆手にとり軍が強制的に連行したとでっち上げています。


従軍慰安婦問題をねつ造した朝日新聞

それにしても、「なぜ’、いまになって」という疑問は残るものの、いまになって一部誤報だと認めても、時既に遅く日韓の関係は悪化。


朝日の記事を受けてアメリカではクマラスワミ報告を基に「日本軍が20万人の韓国女性を性奴隷にした」というデマが拡散されて問題になっています。

日本人コミュニティが何度も間違いだと申し入れをしていますが、受け付けられず慰安婦像の設置が広がっています。

朝日は誤報だと認め、取り消すとしましたが、謝罪もなく、未だに英文サイト、英文新聞では報道していません。現実には反省はみられず「論点」をずらして、男尊女卑の思想を拡散しているようなもので、ますますおかしくなると予想されます。


抗議の著名にご協力を。http://nadesiko-action.org/?p=6558


青山繁晴が『慰安婦問題で朝日新聞が捏造認め謝罪』で「病的な嘘つき」と痛烈批判






一体、朝日新聞とはどういう新聞なのか

戦争を主導したのは朝日新聞




頷ける話です。というのも、鬼畜米英というスローガンを生み出し、戦争をあおりたてたのは朝日新聞なのです。

「ポツダム宣言を黙殺」と大々的に報道したのも朝日。
その後、広島、長崎に原爆が投下されました。

すべてが朝日の仕業とは言わないまでも、中立公正とは言い難く、メディアが戦争の後押ししたことはまぎれもない事実なのです。


この問題が、長い間「慰安婦問題」を誤報(ねつ造)を放置したことと因果関係があります。

「反日」の思想を臆面もなく展開し、「国民を貶めること」を恥じないの裏には「敗戦への憎悪」があります。軍部と密着して戦争を煽っていた張本人がなぜ、戦後「反日」に変身したのが、摩訶不思議ですがそもそもアメリカの誤算があります。

米軍の占領前の日本は邪悪な侵略国家であり、「米軍は日本国民を軍国主義者の抑圧から解放した救済者である」 とする 位置づけをして、思想工作、情報洗脳 を強力に実行します。その行動の一部に戦争を煽り続けた報道機関を粉砕することも含まれていました。

さらにGHQの初期統治方針により、日本の言論界、教育界 から保守派が一掃されます。つまり朝日、毎日は、思想工作、情報洗脳その先鋒に成り下がることで生き残りを図ったのです。その結果、元々の左翼勢力、及び転向者が両分野で 強固に根を張る結果になります。

しかしGHQの占領統治終了以降にあっては、アメリカは自らが扶植した反日、左翼勢力によって激しく攻撃される立場に陥ってしまいます。さらにアメリカの日本への敵意が弱まった頃、今度は 中国で共産党が優勢 を占めるようになり、 昭和24年(1949)10月1日 には遂に 中華人民共和国建国 が宣言します。

米国政界では 「中国保護のために日本を討滅したはずが、東アジアの共産化を防いでいた日本を崩壊させて、結果的に東アジアの過半を共産化させてしまったという反省が起ります。自らが擁護した 特亜(中国・朝鮮系)勢力、反日、左翼勢力に利用され拡大、再生産される皮肉に陥ります。

この問題は日米安保体制構築後の日本の針路を大きく制約することになりますが、現在に至るまで歪め続けています。その先頭にたっているのが、朝日、毎日新聞です。安倍首相が戦後レジュームからの脱却を訴えても、日本の未来図を描く事もなく朝日、毎日が執拗に反対を展開する裏には、意味不明な理解し難い「憎悪」が潜んでいるように思えます。






朝日新聞と従軍慰安婦問題


朝日新聞「慰安婦報道」が触れなかったこと





2014年8月7日木曜日

負の連鎖

理不尽に傷つけられて育ったヒトラーに傷つけれた数多くの人々の末裔が理不尽に罪なき子どもたちを傷つける。

http://topics.jp.msn.com/wadai/rocketnews24/column.aspx?articleid=5288023





負の連鎖はいつ止まるのか。


平和憲法というけれど、占領下のペナルティでしかない。自国の憲法を自国民で作るのがなぜ悪い。

戦後レジュームからの脱皮とは、自律した人々による自立に他ならないのでないか。第一次安倍内閣が「美しい日本」と掲げたことをメディアの一部は痛烈に批判したが、「日本人としての誇りを取り戻したい」に尽きるのではないか。





「原爆投下 ・ トルーマンの決断」 そのとき歴史が動いた(1/4)


嘘、誤報を流したままの大新聞社。永年、指摘され続けても知らぬ顔の果て、世界に広がった屈辱のまなざし。を「間違いでした」で、どう収拾するのか。その記事に乗って責め続けた野党はいかがなものか?その一方で集団的自衛権を「暴挙」という。



\原爆投下 ・ トルーマンの決断」 そのとき歴史が動いた(2/4)


そこに財布があるからと言って持ち去らないのが節度。戦争できる力があっても行使しないのが平和を唱える国民の誇り。

いまは企業だって自律型マネジメントの時代。集団的自衛権を行使できる普通の国になってなぜ悪い。



原爆投下 ・ トルーマンの決断」 そのとき歴史が動いた(3/4)


できるけどしないという節度を大事にしたい。学校に爆撃することを恥じないを問題にすれば、広島・長崎に原爆を投下したアメリカも困るだろう。しかしこれだってソ連から日本を守るため究極の手段だったとは言えなくもないが、二度も落とす必要はなかっただろう。

何にしろ、原爆投下を二、三人で決めたように、民主主義と言っても、そういうものだ。

負の連鎖の末に、病んだ人がリーダーについたときの対策こそ大事。


「原爆投下 ・ トルーマンの決断」 そのとき歴史が動いた(4/4)


2014年8月4日月曜日

都市の小型化(コンパクトシティ)


国内新車販売 2020年に20%近く減の予測 

NHK 8月3日 11時11分 

国内で販売される新車の台数は、東京オリンピック・パラリンピックが開かれる2020年には、少子高齢化の影響などで昨年度の実績より20%近く減少するという予測を業界団体がまとめました。

自動車販売店で作る業界団体「日本自動車販売協会連合会」がこのほどまとめた予測によりますと、東京オリンピック・パラリンピックが開かれる6年後の2020年に国内で販売される新車の台数は、460万台で、昨年度の販売台数から19.2%減少するとしています。

この理由として業界団体は、オリンピックの開催による経済効果は期待できるものの、少子高齢化が進んで国内市場が縮小することや、都市の小型化が進み、車を保有する都市の住民が減ることを挙げています。

日本の自動車メーカー各社は、いまのところ国内での生産体制を維持する方針を示していますが、自動車の販売が大幅に減った場合、工場の縮小なども懸念されています。

業界団体は「少子高齢化が進むなか、高齢者が引き続き運転できるように支援するサービスや、環境対応車への助成の充実などを通じて、車の購入を促す取り組みをしていくことが重要だ」と話しています。






都市の小型化


さてここで出てくる「都市の小型化」

これは高齢化が進みにつれて、大型スーパーより近くのコンビニ。コンビニと大型スーパーの中間に位置するたとえばマックスバリューのような食品中心のスーパーが主になるように、多くの施設がコンパクト化するという意味でしょう。

この動きは日本国内だけではありません。ウォルマートなども積極的に展開していますが、労働集約化型サービスになるので、コストアップが避けられず懸念の声もあがっています。

ウォルマートの変身
ウォルマーの悪い評判

それだけではありません。オフィスビルも小規模化しています。
特別目的会社や投資法人などに売却された流動化目的のオフィスビルについて、延べ床面積の規模ごとに件数の割合を集計したところ、延べ床5000m2未満のビルの取引が年々、増加していることが調査で判明しています。

このクラスの規模のビルの割合は、2000年度の11%から2002年度~2003年度には30%台に高まりましたが、2005年度調査では49%と、流動化オフィスビルの取引の約半数を占めるまでになったのです。一方、延べ床面積1万m2以上のビルの割合は減少傾向にあり、2005年度は21%にとどまっています。

レポートでは、上場企業などが公表した土地や建物の売却事例について、延べ床面積や売却価格、売却件数などを分析している。2005年度のオフィスビルの売却件数は314件、売却価格の総額は1兆9100億円だった。分析結果は、みずほ信託銀行が顧客向けに発行する「不動産トピックス」の6月号に掲載されています。

都市の小型化・コンパクトシティのことならこの一冊▼





【関連書籍】



書籍名
著者名、編者名
発行年
発行
コンパクトシティの計画とデザイン 海道清信 2007 学芸出版社
日本版コンパクトシティ
地域循環型都市の構築
鈴木浩 2007 学陽書房
コンパクトなまちづくり (財)都市計画協会 2007 ぎょうせい
コンパクトなまちづくりの時代
人口減少高齢社会における都市のあり方
(財)
東北産業活性化センター
2006 日本地域社会研究所
コンパクトシティ -青森市の挑戦- 山本恭逸 2006 ぎょうせい
鉄道でまちづくり
-豊かな公共領域がつくる賑わい-
北村隆一 2004 学芸出版社
地方都市再生のための 中心市街地活性化
〈導入機能・施設〉事典
新たな都市空間需要検討会
執筆チーム
2004 学芸出版社
歩いて暮らせる街づくりテクニカルガイド 国土交通省 
都市・地域整備局
都市総合事業推進室
2003 ぎょうせい
中心市街地再生と持続可能なまちづくり 中出文平、地方都市研究会 2003 学芸出版社
明日の都市交通政策 杉山雅洋、国久荘太郎
浅野光行、苦瀬博仁
2003 成文堂
都市・農村の新しい土地利用戦略
変貌した線引き制度の可能性を探る
NPO法人
日本都市計画家協会
2003 学芸出版社
サステイナブルシティ 
EUの地域・環境戦略
岡部明子 2003 学芸出版社
都市 この小さな惑星の リチャード・ロジャース 2002 鹿島出版社
都市居住 都市再生への魅力づくり インターシティ研究会 2002 学芸出版社
ひと中心の都心 LRTさっぽろ 2002 109pp
交通まちづくりの時代 
魅力的な公共交通創造と都市再生戦略
市川嘉一 2002 ぎょうせい
まちづくり・都市計画なんでも質問室 柳沢厚・野口和雄 2002 ぎょうせい
地方都市再生への戦略
-コンパクトシティーを目指して-
日経産業消費研究所 2002 日本経済新聞社
日経産業消費研究所
市民のためのまちづくりガイド 佐谷和江・須永和久
日置雅晴・山口邦雄
2000 学芸出版社
英国の中心市街地活性化
~タウンセンターマネンジメントの活用~
横森豊雄 2001 同文舘出版
変わる商店街 中沢孝夫 2001 岩波書店
コンパクトシティー
持続可能な社会の都市像を求めて
海道清信 2001 学芸出版社
何をめざして生きるんや 延藤安弘 2001 プレジデント社
日本の都市法・ 構造と展開 原田純孝 2001 東京大学出版会
日本の都市法・ 諸相と動態 原田純孝 2001 東京大学出版会
コンパクトシティー
持続可能な都市形態を求めて
マイク・ジェンクス
エリザベス・バートン
カティ・ウイリアムス編著
2000 阪神大震災復興
市民まちづくり支援
ネットワーク発行
コンパクトな都市づくりを目指して
~東北地方におけるコンパクトシティ~
街なか居住研究会 2000 建設省東北地方建設局
じいさん・ばあさんが町をおこした 上田昌弘 2000 近代文芸社
都市はどこへいくのか 五十嵐敬喜 2000 建築資料研究社
アメリカの住宅地
―ガーデンシティからサスティナブル・コミュニティへ
戸谷英世
成瀬大治
1999 学芸出版社
コンパクトシティ構想
―持続可能な都市づくり、地域発意のまちづくり
神戸市 1999 復興・活性化推進懇話会
自転車とまちづくり
~駐輪対策・エコロジー・商店街活性化~
渡辺千賀恵 1999 学芸出版社
スーパーおやじの痛快まちづくり 早稲田商店会会長
安井潤一郎
1999 講談社
都市のリ・デザイン 鳴海邦碩 1999 学芸出版社
日本の近代10・都市へ 鈴木博之 1999 中央公論新社
人と街を大切にするドイツのまちづくり 春日井道彦 1999 学芸出版社
まちづくりの実践 田村明 1999 岩波書店
路面電車とまちづくり RACDA 1999 学芸出版社
新時代の都市計画1
・分権社会と都市計画
小林重敬編著 1998 ぎょうせい
土地利用計画とまちづくり
~規制・誘導から計画協議へ~
水口俊典 1997 学芸出版社
サスティナブル・コミュニティ 川村健一
小門裕幸
1996 学芸出版社
都市の快適住居学
~「借り住まい」の楽しみ~
宮脇檀 1996 PHP研究所
環境都市のデザイン 旧建設省 1994 ぎょうせい
現代の都市法
~ドイツ・フランス・イギリス・アメリカ
原田純孝・広渡清吾・
吉田克己・戒能通厚・
渡辺俊一 編
1993 東京大学出版会
都市計画
~利権の構図を超えて~
五十嵐敬喜・小川明雄著 1993 岩波書店
都市再生 ロバータ・B・グラッツ著
富田靱彦・宮路真知子訳
林泰義監
1993 昌文社
都市開発を考える
―アメリカと日本―
大野輝之
レイコ・ハベ・エバンス著
1992 岩波書店
まちづくりの哲学 アーク都市塾企画
戸沼幸市編著
1991 彰国社
「まち育て」を育む
~対話と協働のデザイン~
延藤安弘   東京大学出版会

「都市の小型化」について、現在、調査を継続中です。