2014年8月15日金曜日

「いま日本の一日はとてつもなく短い。」と一番長い日に思う。



またまた食品偽装が起こりました。いまもどこかで起こっているのでしょうね。
「木曽路」は利益のために幹部がしたという。幹部は患部に成り下げられる。
気の毒な話だ。
決して安い店ではない。ハレの日に、親に、子どもにと奮発をして食べる店だ。ファストフード店のように、自分のために利用しない。それを知っていて偽装するとは酷すぎる。働いている人には気の毒だが、潰れるべき店だ。「お客様の感動が私たちの喜びです」と恥ずかしいだろう。

「木曽路」は謝罪会見をしたが、朝日新聞は謝罪も謝罪会見どころか、謝罪すらしていない。辿れば、火のないところに火をつけて、靖国参拝をすれば批判が起こるようにしたのも朝日の報道から始まっている。

こんなことのために先人達は飲まず食わずで狂気の時代を走り抜けたのかと思うと悲しい。




私たちはハンバーガーを食べる幸福を無意識に満喫しています。

先日、「NHKスペシャル」でペリリュー島の攻防戦のドキュメンタリー「狂気の戦場 ペリリュー」を見ました。壮絶な戦場です。いまを1944年当時に実現できていたら、悲惨な思いをしなくて済んだのにと思わざるを得ません。

一万人の日本兵士の内、最後まで生き延びたのは僅か34名。瓶の中にサソリと蠍を入れて殺し合いをしたような戦場だったと生き残った方は語る。




ペリリュー島には戦争前に300機が配備されていました。

米軍はレイテ、フィリピンを陥落するためにペリリュー島が鍵だと読んで攻勢をかけます。1944年9月15日、長くても3日もあれば制圧できると上陸作戦が始まりますが、とてつもない地獄の戦場に変わり果てたのです。

抵抗に狂気が高まります。日本人の攻撃は凄まじく、米軍は当時最新鋭の武器で生きたまま日本兵を焼き殺します。

日本軍は忍者のように音もなく反撃し、米兵を切り刻み、死体のペニスを切り取り口に咥えさせます。それを見た米兵の憎悪は高まり、日本兵を殺しまくったと証言します。

憎悪の連鎖の果て、気を取り戻したとき、自身の精神は崩壊していたのです。

兵士の憎悪の連鎖は、国をあげた憎悪に変わり、人類史上最大の悲劇に発展します。


ソ連軍の満州侵略が始まり本土侵略は迫っていた。厭戦気分とソ連の動きに背中を押されたアメリカは終結を急ぎ、人道に適わぬと知っていたはずだが昭和20年8月6日、広島に原爆投下。続き長崎にも投下。日本は完膚なきまでに叩きのめされて、無条件降伏を受け入れる選択肢しか残されていなかった。




「日本のいちばん長い日」は、昭和20年8月14日正午の御前会議におけるポツダム宣言受諾の決定から、翌15日正午のNHKラジオにおける終戦の詔勅の放送までの24時間を描いた骨太なダイナミックな作品。

玉音放送を阻止するために、天皇を守る任務の近衛兵たちが、宮内庁に銃を向ける。半藤一利氏の綿密な取材と証言を基に再現する同名ノンフィクション作品を映画化した緊張感みなぎる傑作。監督・岡本喜八、脚本・橋本忍。そしてモノクロ画面にオールスターキャストが鬼気迫る演技で疾走する。




畏れ多くて面白いと言えばバチがあたりそうだが、ドキドキしてのめり込む。監督岡本喜八は男っぽい作風で名作を多発しているが、良い脚本に当たると素敵な化学反応する見事な事例。脚本家も同じで良い題材にあたるとやはり素敵な化学反応をする。素敵な化学反応に率いられた俳優陣怒濤の演技で、「いかに終わらせることが難しいか。」を画面いっぱいに漲らせる。

同じようなエネルギーを噴出させたものに「仁義なき戦い」があるが、スケールの大きさでは日本の命運がかかった「日本のいちばん長い日」に軍配があがるのは当然だ。

黒沢年男の演技がオーバーに思えるが考えてみると、焼土となることを省みない当時の青年将校の狂気に同期することは、いくら俳優だからといっても、そこまで要求するのが無理なのだと思う。それほど当時の人々は複雑に必死に狂気だったのだ。
立場は違うが三船敏郎扮する阿南陸軍大臣も同じだ。黒沢年男が銃を向ける加山雄三扮する玉音放送を流そうとするNHKアナウンサーも同じだ。(当時の加山雄三人気はスゴかった。)みんながそれぞれの立場で、責任を果たそうとしていた。
死に物狂いの一日だ。




いま、君は
国と国民を思い狂気になれるものがあるか?

そう突きつけられている気がする。



ストーカー、子どもに危害を与える事件、食品偽装。


いま日本の一日はとてつもなく短い。

その短さに驚愕し、語り継げていないことを反省する一日だ。







246万人の霊に哀悼の誠を捧げる気持ちを大切に。

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