2011年8月4日木曜日

もう一度、グリーン・ホーネット

■本当は失敗不可能という事実。

 比較的最近公開された映画「グリーン・ホーネット」は、古くからのアメコミを映画化したもので、1936年〜52年にかけては全米でラジオ放送、1966年からはテレビ放送され、ブルース・リーが助手のカトー役で出演しスターへの足がかりをつかんだ。

「グリーン・ホーネット」は他のアメコミと違い、主人公がまったくのダメ男だという点が特徴的だ。幼い頃から、父親には「失敗しては努力も意味がない。」と、顔を合わせる度に叱咤される始末で少しいじけている。悪と戦っていた新聞社主である父親が他界した後のある日、一念発起、武芸と発明の天才である使用人カトーを助手にして「グリーン・ホーネット」として悪に挑む。

 さて 「 失敗しては努力も意味がない。」は、とても重要な意味を含んでいる。なぜなら、ほとんどの人が行動を計画して実行するが、自分が果たすべき結果を出すことを忘れているからだ。つまり努力はしているが、結果を出すことを目標にしていないのだ。

「努力すると必ず報われる」という考え方もある。努力する人を支える効果はあっても、これだけではナンセンス。「何のために努力しているのですか?」と問われて「?」では
話にならない。グリーンホーネットの父の言葉「 失敗しては努力も意味がない。」のが正しい。

そこで、どうしても、結果主義と成果主義について考えが及んでしまう。
あなたは、結果主義と成果主義の違いをご存知だろうか?

努力を認めてほしいのが、結果主義。どちらかというとアマチュア発想だ。
一方、成果主義とは、
求められる結果を出すのが、成果主義。安定してメシが食えないと困るので、成果主義がプロフッショナル発想だ。

 努力しなくても結果を出せる人もいれば、努力したって簡単でない人もいる。 本当のところ、努力は関係ないのだ。 「グリーンホーネット」の父親が言うように、努力がテーマでなく、結果を出すのがテーマなのだ。つまりメシが食えるか、食えないか。この一点こそが重要なわけである。

どんな商売でもメシが食えるようになるには、勝たなくてもいいが、負けてはいけない、失敗しないことが生命線であり、結果を出すことが大切だ。だから自分でコントロールできないことに右往左往しない。自分にできることをやリ抜く。

自分にできることをやって、 求められる結果を出すのが成果主義であり、プロなのだ。人間はそのようにしかできないからだ。プロの博打打ちなら、自分でコントロールできない賽の目のことは考えない。生き抜く者にとって、考えても仕方のないことに自分を任せられない。考えて仕方のあることで生計を図る。

つまり張り方で絶対に損のしないようにする。だから自分にできることの領域を広げるのは武器をたくさん持つのに似ていて、それも日頃の鍛錬である。自分にできることの領域を広げるには基準を高くすることが唯一無二の方法になる。

誰でも自分にできる領域を広げるのは不安だ。不安を恥じることはない。誰だって同じだ。そこで絶対に失敗不可能なやり方を使う。

みなさんは、失敗不可能なやり方を知っているか?あるいは親、教師から教わったか?
簡単なことなのに、誰も教えない


失敗不可能なやり方がPDCAだ。うまくやれる方法が失敗不可能なやり方なのだ。
古今東西、いくら考えてもこれしか見当たらない。だからこれをやればいい。
PDCAは仕事の道具であり、人生に欠かせない道具だ。

1)まず目的を持つ。(目的はほとんどの場合、抽象的な表現になることが多い)
2)目的を達成するために、具体的な目標を設定する
3)目標を達成するために、具体的な計画を立てる
4)計画通りに実行する
5)実行の結果と計画のギャップを確認する
6)確認した結果を(観る、なぜ?どうする?)プロセスを経て反省する
7)反省とは自分を責めることではなく、対策することをいう
8)反省は次のPDCAの始まりだ。つまり反省とはやり直し計画だ。

この内、間違いを冒しやすいのが1、2、3で、次の部分だ。

まず目的を持つ。(目的は抽象的な表現になることが多い) 
目的を達成するために、
具体的な計画を立てる

なにをしたいのか、何のためにするのか、知ってはいても潜在意識にまで入り込まないので、やっている内に忘れてしまい、行動することに主体が移ってしまうのだ。知らず知らずに努力していることが重要になっている。繰り返すが努力はどうでもいい。 グリーンホーネットの父の言葉「 失敗しては努力も意味がない。」に意識を戻そう。

努力の重点が動くと、結局行動はしているが、計画したものとも違ってくる。計画したものでないと、それがどうだったのか、確認できなくなり、反省できなくなる。つまり、あきらめずにPDCAさえ回し続けていると、誰でも失敗不可能になることが、PDCAが空中分解するので、どうしたらできるのか分からなくなり、ストレスが高じて楽しめる状態ではなくなってしまう。

 先人が導き出した原理原則を無視するのはもったいないはなしである。昔、大阪→東京間の移動に、約15日かかったが、大正元年に鉄道で12時間に短縮された。現在は新幹線で2時間25分、 大都市圏の通勤圏内に迫る時間であり、 江戸時代なら同じ所要時間で144回も行ける勘定だ。 

そこで人の思考力も短縮されたか考えてみてほしい。物事の時間短縮は過去の経験やデータを元に飛躍的な変化を遂げた。人間力も同じく先人の知恵や工夫に学ぶことで短縮できる。すでに正解が出ていることについて、オリジナルにこだわり、学ぶことを疎かにするのは愚かとしかいいようがない。どんどん成功例を学び、真似できるところは真似をしたいものだ。但し原理原則から外れた成功例の場合は、たまたまだからこんなものは真似してはいけない。


 本題に戻ろう。PDCAを回せない理由には、次のような問題があるが、優先順位が曖昧なために、急ぐことを重視したり、手慣れた仕事に走ってしまうなど、PDCAを意識していないことが致命的だと覚えておきたい。

・やらないといけないことは知っている 

・なにをしたいのか分かっていない

・自分の感情をどうしたいのか

・優先順位が曖昧

 やらないといけないことを知っていても、なにをしたいのか分かっていないと、決心ができない。主体性がないと決心ができなくなるのは必至だ。どうしていいのか分からないので、やっているフリになってしまう、あやふやな感覚は心身によくない。せいぜい努力を認めてほしいという程度になる。

もともと心身が健康なら、 余程特殊な能力を必要とされることを除けば、 誰だって、なんでもできる能力を持っている。過去の経歴も成績も関係ない。そんなことは気にすることもない。

 なんでもできると言えば、人の気持ちはどうにもできないだろうと反論されることも多い。 そこで最近多い卑劣な犯罪「ストーカー」について考えてみたい。
 たとえばA子さんが好き。しかし、A子はこちらのことを何とも思っていない。 気を引こうとして アプローチするが効果はない。 PDCAを使って、 めげずに次々とアプローチを繰り返すが、全く見込みがない。「これでも失敗不可能か?」と指摘される事がある。
答えは、それでも失敗不可能だ。そもそも人間関係には「あなたと私は別人である」という境界がある。無断で越境することは人権無視である。ストーカーはA子恋しさに、絶対にしてはいけない間違いを冒す。このような間違いを冒さずに自分の願望を叶える方法がある。もともとA子に執着するのは、本来の目的を意識していない点にある。

我々はとかく人、モノ、金にこだわる傾向があるが、冷静に考えるとその先にこそ、自身が本心で求めている「感情体験」がある。A子に執着するのは、温かい人間関係を持ちたいというようなことが本心であって、それが叶うならA子でなくてもいいのだ。

そのことを自分が認識しているとA子に執着することもなく、ダメならPDCAを使って、他の人に期待すればよく、アプローチすればいいことだ。ストーカーに発展する人間には、この自己認識スキルが欠如しているので視野が狭く、考えても仕方のない相手の気持ちを無視して、嫌がる相手に執着して感情的な行動に暴走するのだが、なんとも分の悪い悪行だ。プロの博打打ちなら、まず考えられないやり方だ。

 ビジネスでも同じことが言える。売りたい商品と顧客が欲しい商品のミスマッチがあるのは常だ。売る側が商品に執着せずに顧客に喜んでもらうことを最優先に考えていくと、売れる商品は代替可能になる。 たとえばバッテリー液は買わないがダイヤモンドなら買うことも実際にあるのだ。 PDCAのサイクルで言う次の部分で失敗は不可能になるのだ。
5)実行の結果と計画のギャップを確認する
6)確認した結果を(観る、なぜ?どうする?)プロセスを経て反省する
7)反省とは自分を責めることではなく、対策することをいう
8)反省は次のPDCAの始まりだ。つまり反省とはやり直し計画だ。

PDCAのC(確認)の次のA(反省)に進むことは「どうすればいいのか」新しい可能性から再びアプローチすることを決定する段階だ。といっても、可能性の発見なので、間違いのない方法と断定できないが、「やってみよう」という曖昧さではなく、「やる」と決心することだ。「やってみよう」という程度ならすぐにあきらめてしまう。あきらめたら失敗は起こる。つまり失敗も成功も自分の選択でしかない。
 
ここで重要なのはうまくいかないやり方を一旦引っ込めて、新しいやり方に全力を注ぐことだ。うまくいかない時にそのままのやり方で、次の作業に進まないこと、引き継がないことは、指示するときや改善の鉄則である。
 
Aは、そのまま二度目のPにつながっているので、Aは二度目のPDCAの始まりなのだ。一定時間内にどれだけ内容の濃い PDCAを回せるか、迅速な動きが時間の浪費を防ぐ。
仕事において時間は永遠ではなく、限りがあることを認識しておかないとPDCAは機能しない。期限までに間に合うようにPDCAを回し続けて突破口を見つけるわけだから忙しいのは当たり前だ。それが分かっていたら「準備」の重要さが身にしみて分かる。その辺が新米とベテランのキャリアの差である。

 日常的に、自分のエリアを広げることも必要だ。つまり自分の基準を高くするのだ。それもこれも「努力してまっせ」で収拾がつかない世界で生きるプロの規範である。プロの規範等というと厳しく感じると思うが、 つまりメシを食うためである。絶対に負けることはできないのだから、運に任せず、自分にできることをするしかない。

案ずることはない。誰にでもできることだが、 目的がなにかが分かっていないと、決心できないので、不安だけが強くなり自分にできることさえ分からなくなるというようなことが起こってくる。そういう時は、本当のところ、自分がどんな感情体験を求めているのか、再認識してみるといい。それが目的だ。

たとえば「ついにやったぞ!こんなに気持ちのいいことはない」という気持ちを体験したいのか、「チャレンジしなかったから、何も変化は起こらなかった。つまらないな」という気持ちを味わいたいのか。自分の本心を知ることが決心の条件になる。自分の感情は出来事によってもたらされた結果ではない。自分の感情は出来事の原因なのだ。動機となった感情が結果の感情になる。楽しすぎる感情は楽しい感情の積み重ねの結果だ。

あなたは、なんでもできる能力を、すでに持っていることを忘れるなかれ。後はコミットメント(不退転の決意)さえすれば結果を出せる行動ができる。結果を出そうとして行動すれば求める結果に到達する。
努力を認めてほしいと思って行動している限り、結果は出せない。あなたに結果を出すのに十分な能力があるのに結果を出せない。なぜなら結果を出そうとして行動していないからだ。

 原因=結果である。原因つまり達成して愉快な気持ちになりたいという感情体験を目的(動機)にすると、結果も同じく達成して愉快な気持ちになれる。目的が潜在意識にあれば、必ず結果になって表れるのだ。感情(原因)=感情(結果)になる。なぜなるかというとあなたは自分の感情を大切にしてPDCAを繰り返し回し続けるからだ。なぜあなたは自分の感情を大切にするかというと、あなたが学ぶべき成功者と同じ人間だからだ。

人間は感情で出来ている。
人生(仕事)は時間でできている。
感情と時間を機能させるエネルギーが心身の健康である。

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