2013年2月7日木曜日

ウッドストック・ミュージック&アート・フェスティバル


60年代後半にはベトナム戦争介入の泥沼化を背景に、サーファー、サイケ、ロッカー、フォークなど大量の人が混然となって逃げ込むようにビート・ジェネレーションのメッカであり、カウンター・カルチャーそのものである「サンフランシスコ」になだれこむ。
それはやがて大きなうねりとなり、ヒッピーとなり爆発する。


暴力的に追い込まれ、凶暴で無意味な日常に不安は高まり、刹那的にドラッグによる幻想へ逃げ込む。
しかしそれが現実的な解決をもたらすわけもなく、悲しみはますばかりだ。

そこには、デニス・ホッパーが名作「イージー・ライダー」で見事に切り取って見せた世界がある。

ニューシネマと呼ばれる作品だ。60年の終わりから70年代はじめにかけて、「卒業」「真夜中のカウボーイ」「M★A★S★H]「いちご白書」「ファイブ・イージー・ピーセス」「俺たちに明日はない」「明日に向って撃て」などが体制に反逆するアンチ・ヒーローが相次いで創造され、映画館のスクリーンに投影された。


路上には「NO NUKES!(核反対)Tシャツはホワイトボードとなり、プラカードが行進する。いい知れぬ不安と苛立ちはサンフランシスコ発ヒッピーのロックとなって世界にインパクトを与えた。

ビート・ジェネレーションの地。1967年、花の「サンフランシスコ」、夢の「カリフォルニア」が中心になったのは当然のことだ。ここしかなかったのだろう。



ロックとフォークの融合、それにロンドン発のサイケが加わり、ヒッピーの手によってカラフルな古着が流行する。
そしてロックはメッセージを伝える道具になり、こどもの視点で世界を観ることがコアになった。

自由になろう!花を着よう!楽しもう!フラワー・チルドレンの社会の実現へ向けて「自然に還ろう」というメッセージが反戦機運の高まりとともに広まっていく。

67年、モントレーの広大な土地を利用して五万人を集めたロック史上初の野外ロック・フェスティバルが開催される。
ジミ・ヘンドリクス、ポール・サイモン、ジャニス・ジョプリン等、全員がノー・ギャラで参加した。決定的にロックは変化した。暴力的に追い込まれて変化するしかなかったのだ。









”I HAVE A DREAM”そして”LOVE&PEACE”

1968年4月マーティン・ルーサー・キング牧師がメンフィスのロレイン・モーテルで暗殺される。さらに6月ロバート・ケネディ上院議院暗殺。

その年のクリスマス、ロックンローラー
エルヴィス・プレスリーが復活する。エルヴィスの『 COMEBACK SPECIAL』がテレビ放送され、全米70%を超える視聴率をゲットした。I HAVE A DREAMはキング牧師の有名な言葉だったが、エルヴィスは呼応するようにIF I CAN DREAMで番組を締めくくった。



その翌年、1969年8月15日、ニューヨーク州の郊外ウッドストックで空前の野外コンサート「ウッドストック・ミュージック&アート・フェスティバル」が開催され、3日間に45万人が参加した。

社会史の教科書にも出てくるコンサートにはザ・バンド、ジョーン・バエズ、ザ・フーらが参加した。

当初18ドルだった入場券はあまりの人の多さに、「勝手にしゃがれ」状態になり無料となる。大学生らが仕掛けたビジネスは収拾不能になり、フラワーチルドレンの大集会に変身したのだ。


激しさと寂しさ、そして混乱。
…………大雨、死者、赤ん坊、麻薬、ライフラインのトラブル。

それでもLOVE&PEACEに満ちた3日間はアメリカン・カウンター・カルチャーの檜舞台となった。
しかしアメリカン・スピリットの真髄は路上、ストリートにあることを実証するかのように、コンサートが終わると45万の孤独がウッドストックから吐き出され路上に溢れた。

 

アメリカは50年代の建国以来のピューリタン的思想の弱体化と停滞、既成の価値感を粉砕したロックの誕生。60年代ニューフロンティアを訴えたケネディの登場と死。
そして明るかったアメリカはベトナムの砲火とともに暗雲が覆う70年代に突入した。

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