2011年7月4日月曜日

脱お金

節電の背景はされおき、どうせ節電するなら楽しもう。

楽しむには、はっきりとポリシーを持ったほうがいいね。
そこで思ったことは、長い間人類は課税される代わりにお金を使うことを強制され続けてきた。
課税もされているけれどね。言葉が国と民間で違うだけで、民間会社に支払うように、国に支払ってるわけだ。
消費税上げますという話は、値上げしますって話だ。

つまりもともと人間がやっていたことを、商品に変える作業を延々とやり続けてきたわけだよ。
そこでいい方法を見つけては海外から輸入して商品化してきた。

その挙句に、原子力という商品に欠陥があったというわけで、本当ならリコールするはずのことを、代替品ががないので我慢して使えというのが節電というわけだ。

そこで考えたんだが、なんでも自分でやるというのが、節電も含めたポリシーだね。
クーラーの代わりに団扇を使う。自分で自分を冷やすんだ。
当然、外食もしないぜ、もうこれからは。

よくよく考えると貧富の差って、いまは階級社会ではないから、能力の差というわけだ。取柄がないと困るんだよね。
で、お金を使わない暮らしになると、取柄の価値も変わる。

お金を使う社会を前提にしての価値だからね。
いいなりに節電するより、お金使わない生き方に変えますと生き方革命をやったらどうだい。
そっちの方が断然おもしろいだろう。

脱原発なって面倒くさいこと言ってないで、少なくともいままでの半分の支出で暮らしますって言えばどうだ。
失業する?
農業か、漁業したらいいだろう。無理な人がほとんどだろう。だったらお金と引き換えてに渡しているものの価値を変えるしかないんだよ。つまり、個人の取柄の価値が変わることを意味するんだよ。

脱お金を考えたら、今回の震災で被害を受けた人たちが、苦しんでいる正体がなにか見えてくるだろう。

団扇で風を送り込みながら、金輪際、金は使わないぞと考えている。

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