2012年7月14日土曜日

道頓堀の牡蠣船



道頓堀では芝居茶屋が繁盛しましたが、繁盛したのは地上だけではなかったようで、水上でも大いに賑わったといいます。その第一人者が広島からやってきた【 牡蠣船 】です。時は元禄、屋形船を岸につけて牡蠣料理を出し接待などに使われ繁盛したそうです。

いくら水上といっても勝手に営業することは当時をもってしてもできませんでした。それが可能になったのには物語があります。1708年のこと、大阪で大火が起こった時に、牡蠣船を考えていた任侠の人、甚左衛門なる人が牡蠣商人を集めて被災者の援助に力を尽くしたのです。この貢献に大阪奉行は応え川のあちらこちらで牡蠣料理を出すことを許可したのです。

昭和初期になると人気の牡蠣船にあやかってビヤホールまがいの船が出たり、一般の料理を出す船も出たそうですが、公の許可を得ていたのは牡蠣船だったので、トラブルにもなったそうです。

昭和40年(1965年)には道頓堀川改修工事が始まり、大阪市との間で立ち退き交渉が始まりました。当時8隻の牡蠣船があったそうですが、42年2月に最後の牡蠣船「かき秀」が解体され、ついに元禄以来250年も続いた歴史は終わりを迎えました。

その歴史の一端でも知っている人も今では少なく、やがて語り継がれることもなくなりそうです。一度は体験してみたかったですね... (◑.◑)

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