2012年7月15日日曜日

不死鳥、福井



戦争末期、米国は福井を徹底した空襲で90%以上焼き野原にしました。県庁所在地でここまで焼尽したのは数少ないと言います。お隣の金沢にはほとんど手をつけていません。
福井には紡績工場が多く、パラシュートを製造していると見られていたからです。
戦争が終わり、焦土と化したふるさとを復興しようと立ち上がった人々を、昭和23年(1948)、大震災が起こり再び人々を打ちのめします。やっとの思いで再建した家を失い、家族を失い、大切な人を失い、絶望に打ちひしがれました。悲劇はこれで終わりではありませんでした。翌昭和24年(1949)には、水害が福井を呑み込みます。三たび、叩きのめします。僅か5年ほどの間に東北大震災のようなことを3度体験したと考えてみてください。想像を絶する苦難です。
福井の人々は、それでも歯を食いしばって血のにじむ思いをして立ち上がります。そうして厳しい自然環境を受け入れて、現在の「幸福度全国ナンバーワン」と感じる「福井」を築いたのです。学力全国ナンバーワン、社長輩出率全国ナンバーワンのマンパワーの土台になっているのは、不死鳥福井の精神が風土として人々のDNAになっているからではないでしょうか?
福井人の魂の象徴として 、街の中心部の道路はフェニックス通りと名付けられていて、そこにはフェニックスホールもあります。東京で言えば武道館、大阪で言えば京セラドームのような存在で大きなイベントはここで開催されます。
大飯原発で揺れる福井ですが、大飯町は厳しい寒村、生きるために原発を誘致した歴史があります。名作「飢餓海峡」を書かれた作家水上勉氏は大飯の出身で、貧しさから9歳で京都の瑞春院に小僧として修行に出されています。生きるって大変なことだと感じる一方で、誰かが責任を引き受けなければ国は成り立たず、ひとりひとりが責任を引き受けない限り幸福な暮らしはないのだと感じる夏の夜の福井城址、お堀の灯りでした。

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