2012年7月12日木曜日

一寸六分の懐石料理

東京と大阪では微妙に違うものが沢山あります。
道頓堀に並ぶ、鰻屋、寿司屋、蕎麦屋などもそうで、ことごとく違います。たとえば寿司と言えば握り寿司を連想しますが、昔は違いました。寿司といえば両者ともに箱寿司だったのです。




ところが1820年代( 文政初年)に東京で変化が起こります。華屋与兵衛という人が握り寿司を考案します。この屋台の酢飯を手で握って作る握り寿司を、大坂では「そんなもん料理ではない。大坂は日本一の商売の街や、お金持ちがたくさんいる。そんなもん食うか。」と見下していました。大坂では箱寿司を「一寸六分の懐石料理」ととらえていたのです。

しかし江戸で誕生した握り寿司も徐々に広まります。1892 年(明治25年)になると大坂にも進出してきます。やがて大阪の寿司も大きく変わる時を迎えます。
1923年(大正12年)9月1日に起こった関東大震災です。この後、東京の職人さんが大挙大坂にやって来たことから大阪の寿司事情も変わり始めたのです。握り寿司誕生から実に100年経っていました。

いまはなき中座の前あたりに「元禄寿司」さんがありますが、ここが回転寿司を日本で最初に考案したそうです。自分が学生の頃にすでに回転寿司やっていたのを記憶していますが、ここには「松川」という芝居茶屋の一軒があったそうです。

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