2015年5月4日月曜日

虚言症……その監禁された愛




虚言症……その監禁された愛


虚言症
作詞・作曲:椎名林檎/編曲:亀田誠治&椎名林檎


しかし何故にこんなにも眼が乾く気がするのかしらね
黄色の手一杯に広げられた地図には何も無い
そして何故に雨や人波にも傷付くのかしらね
魚の目をしているクラスメイトが敵では決して無い

線路上に寝転んでみたりしないで大丈夫
いま君の為に歌うことだって出来る
あたしは何時もボロボロで生きる

例えば少女があたしを憎む様なことがあっても
摩れた瞳の行く先を探り当てる気など丸で無い

徒に疑ってみたりしないで大丈夫
いま君が独りで生きているなんて云えるの
君は常にギリギリで生きる
あたしは何時も君を想っているのに

髪の毛を誘う風を何ともすんなりと受け入れる
眩しい日に身を委せることこそ悪いこととは云わない

無理矢理に繕ってみたりしないで大丈夫
いま君の為に歌うことだって出来る
あたしは何時もポロポロで生きる



自分への愛を確かめるための虚言を放つ君。
自分はそんなことしなくても君をこんなにも信じて愛していると歌う。
虚言と実際のギリギリを歩く君、それを受け入れてボロボロになっている自分。
切なさが響く、美しい歌だ。

かって行った自分の判断や反応が周りに受け入れてもらえなかったら……
あるいは、誰だって裏切られ続けれれば……

自分のした判断の結果がことごとく裏切られると、自分の自然な反応や判断は本当に適切なのかという疑惑に苛まれる。

「君の判断は何も間違っていない」と聞かされても、何もかも間違っているように思える地獄。

咽が乾いていて、水が飲みたいと思っても、過去に悪い水のために大病を経験すれば、そこにある水が飲めなくなる。それと同じだ。

予測不能に陥った<君>は苦しみから脱するために「虚言」を放ち<あたし>の愛を確かめる。

その虚言は大きな損失につながる危険がある。
綱渡りをするかのようなギリギリの生きざまは、それを見ている人間には辛い。

自然な反応として「君なんかに興味ないよ」と思える状態にならない限り、いくら辛くても耐えなければ仕方がない。

受け入れても、受け入れなくても、選択肢は「仕方ない」しか残されていないからだ。
このような選択肢しかなければ、<あたし>の心がボロボロになるしかない。

ギリギリを歩いている<君>とそれを受け入れてボロボロになっている<あたし>。
どうせ仕方ないのなら、どこまでも受け入れていこうという刹那さ。その眼差しの輝きに賭ける。出口なしの監禁された愛。




椎名林檎のデビューアルバムにして名盤「無罪モラトリアム」に続く第二作「勝訴ストリップ」は虚言症で始まり、依存症で終わる。

タイトルの字数がすべて対称系になっている、このアルバムは「罪と罰で彩られた共依存、あるいはそれに近い世界」を描破している。

セクシーな写真や激しいアプローチに騙されずに、林檎の発信する刹那さに神経を傾け自省するのも楽しみ方のひとつだ。

共依存を病気という。しかし依存症は大半の人にとって何らかの形で起っている。依存症があれば「共依存」も起る。

当たり前なのだ。愛は深くなればなるほど共依存に近い状況に陥る。

大切なことは「自分は苦しんでいることを自己認知」することだ。

すべてはそこから始まる。かってパンクスたちが王室に戦いを挑んだように、<あたし>と<君>は自分への戦いを仕掛ける。その敵(魚の目をしているクラスメイトが敵では決して無い)は巨大だ。しかし林檎が歌うことで戦うように<あたし>と<君>も戦う。いつかきっと勝てる!

なぜなら巨大だけど、いつでも勝てる相手だからだ。敵は自分だから。いかさまも出来るんだ。自分にOKだせば、それで勝負あり。いまのままの君でいいんだよって言えばそれでいい。敵を巨大に育て上げているのも<あたし>と<君>なんだ。究極の愛はすぐそこにある。




2014年11月3日月曜日

絶唱

「絶唱」という鳥取出身の作家大江賢次の小説があり、鳥取県伯耆町桝水高原には石碑があり、恋愛スポットになっているそうです。

3度映画化されています。テレビ版は5度もあります。映画版では山口百恵、三浦友和主演のものが一番新しく、といっても、1975年の作品。古いのは小林旭、浅丘ルリ子主演で、自分が入院中のテレビで見たのが、これでした。

全部見ていなくて、その後の作品も小説も読んでいないので、詳しい話は分かりませんが、クライマックスを見ればおよそつかめます。




自分が相部屋の病室で、隣のベッドの人が見ていたのを見たのは、そのクライマックス。

亡くなった恋人に花嫁衣装を着せた上で、三三九度の杯を交わし、その花嫁を抱いた小林旭が森の中に入っていくシーンです。1990年のテレビ版では『絶唱 花嫁の亡骸を抱いて、許されぬ恋の名作』のタイトルで放送されたそうです。


で、自分はテレビ版タイトルの解釈と同じ感覚で見ていました。ところが隣のおじさんはこう言ったのです。「妖気漂いますな」

一瞬唖然としました。ここは観客が泣く場面ですよ。石碑にもなっているくらいの名場面です。

このように同じ事実を見ても、解釈はひと様々。
でも隣におじさんの解釈が間違っていたわけではありません。解釈が違うだけです。
解釈が違えば感じ方も違い、行動にも違いができてきます。

人はこうして違った価値観で暮らしています。
自分の人生を変えようとしたら、価値観を変える以外に方法はありません。

詐欺にひっかかる人は、何度も引っかかるといいます。頭が悪いのではなく思考回路が違うのです。ネットワークビジネスで儲けようとして、結局は損をしている人にも独自の思考回路があります。
ここでいう思考回路とは、価値観のことです。

言うのは簡単ですが、とても大変なことです。
人生観が変わるほどひどい災害にあうとか、大病するとか、大失恋するとか、大転換を引き起こすだけのショックがないと簡単には変わりません。

それを唯一といっていいくらいの転換を起こすのが<Be~在り方>を強制的に見直す機会です。

そこで私どもでは、クリスマス企画として、<ライフスキル講座Beプログラム>を展開します。<ライフスキル講座Beプログラム>は一年に及ぶ講座なので、きっかけとなる募集期間をクリスマスに限定させていただきます。通常の<ライフスキル講座Beプログラム>より、【クリスマス限定のライフスキル講座Beプログラム】の方が中味が濃いのです。


さらに2016年には【世界で一番美しい、人生まるわかり講座2016】の開催が決定しました。


2014年10月11日土曜日

若者よ、「在り方」に自分を発見しよう。



イスラム国に参加する若者が世界中にいる。

ひとつは自由すぎて、何をしたらいいのか分からない人が増えていること。

裏返すと「永遠のゼロ」のヒットがある。どんなものかと思って映画をみたら、同じような話は過去の戦争映画にある。「ホタル」も似たような話だ。



もうひとつは「理想がない」



かって、キング牧師やケネディ大統領にように理想に向かって突き進むリーダーがいた。


たとえば14回映画化された大河小説「人生劇場」では、青成瓢太郎は息子瓢吉に「在り方」を教える場面が登場する。主要登場人物を通して「在り方」を語っている。


この原作を手本にしたものに「青春の門」がある。歌謡曲にもなって歌い継がれた。






思えば、現代に共通していえるのは、「在り方」の欠如だ。


Appleのように、商品の魅力を越えた「在り方」へのあこがれだ。

スティーブ・ジョブズが死ぬまで抱き続けた「在り方」に対峙する魅力。

だからブルーボトルコーヒーのようなところが登場すると、あっと言う間に支持される。


いまの社会には、どんどん欠如している「在り方」への挑戦。

SNSは、その不足をどんどん知らせてくれるツールにもなっている。


見方によれば、とっても面白い社会だ。


ヒトラーは個人的な怒りを政治的な主義主張にすり替え、ドイツ国民を巻き込んで世界を混乱に陥れた。決して怒りは人を幸せにしない。


主体性のない憲法9条をノーベル平和賞にと唱える運動家にも運動することを危惧する。彼らがなにを<在り方>の代わりになにを埋めようとしているのかが気になるからだ。

慰安婦問題の正体を見ると分かるように、そこには<在り方>のかけらもない。



キング牧師のメッセージが胸の打つ理由は、静かに聞けばよくわかる。


自分の得体の知れない怒りを政治にぶつけて対立することで鬱憤をはらすくだらなさは、現代では意味を持たない。


こんなチマチマしたことに一喜一憂せずに、痛快にいこう。キング牧師やケネディ大統領やスティーブ・ジョブスのように。そうすればイスラム国に向かう若者もいなくなる。








2014年9月30日火曜日

温かい笑顔は伝染する


みなさん、『パッチ・アダムス』という映画をご覧になったことがあるでしょうか。
ロビン・ウィリアムス主演のこの作品では、「元気」と「笑い」の効用をテーマにしています。





ご覧になったことのないひとのために、ちょっとだけ説明しておきましょう。

人生に絶望し、自殺未遂をして精神病院に入院したアダムスは、その病院で人生の転機となる出来事と巡り会う。

「笑い」が人の心を癒し、治療になることを知ったのだ。以来、アダムスは人を笑わせ、病んだ人の心を癒すことに生きがいを見いだし、堅く閉ざされた入院患者の心を次々に聞いていく。

そして、その特技を治療に生かそうと自ら精神科医になることを目指す。ざっとこんなストーリーです。

これは、現実にアメリカであった実話で、「温かい笑顔は伝染する」「笑顔は人のため、社会のためになる」ということを教えてくれる、まさに社会力の最高の教材のような映画です。パッチ・アダムス本人はその生涯を「笑いによる医療活動」に捧げ、その活動のために日本にも来ています。

この映画を観ると、「人に与える」ということが、社会力のひとつとしていかに大切なことなのかがよくわかります。「元気」とは、自分のためのみならず、人に与えるためのもの。人のため、社会のためにあるものなのです。

「笑顔」を与えられて「元気」が人から人へ伝えられていけば、社会全体が元気になっていきます。笑いが元気を生み、元気が社会力となる。パッチ・アダムスが夢見たのは、そんな元気(社会力)に満ちた世界だったのでしょう。

こうして考えてみると、「元気」とは、「元気になりたい」という目的ではなく、「人を元気にするためにどうするか」という手段 として語られるのが本来の姿なのでしょう。


その手段を持っている人は社会力が大きいのです。そして、人を元気にするため、社会を元気にするために、自分を元気にしようという手段が、結局その人の社会力となっているのです。

                    (ほんとうの社会力 辻 秀一:著)より



2014年8月22日金曜日

Blue Bottle Coffee/ブルーボトルコーヒーがやってくる。




サンフランシスコで人気のコーヒーショップ、“Apple of coffee”コーヒー界のAppleと呼ばれている「Blue Bottle Coffee(ブルーボトルコーヒー)」が日本(東京)上陸します。

「Blue Bottle Coffee(ブルーボトルコーヒー)」は、2002年にJames Freeman氏が始めたコーヒー焙煎所。はじめは自分の手で焙煎して、近隣のファーマーズマーケットで販売、やがて港町の倉庫街に焙煎所を立てて、ビート文化〜ヒッピー文化が息づいているアメリカ随一のサブカルチャーの聖地、サンフランシスコ市内にカフェをオープン。

“Apple of coffee”と言われる最大の理由は、ディティールへのこだわり。店の作り込みも似ていると言われています。コーヒーが良質なのは当然だとしても、その提供の仕方にも似たカルチャー、哲学が息づいていると言われています。

さらにApple もBlue Bottle Coffeeも自宅のガレージからスタートをしていることや、創業者の強い思いコンセプトを持っていてディティールにこだわり妥協をしないこととなど共通点が多い点も、コーヒー界の”Apple”に拍車をかけています。


「マイクロブリューコーヒー」「マイクロ・ロースター」「サードウェーブコーヒー」と呼ばれる第三の潮流。1カップずつ丁寧にいれるスタイルは、いま日本でも人気。その芳醇なコーヒーの香りと味わいは、コーヒー界の雄。スターバックスコーヒーに挑むかのようです。


スターバックスコーヒーの味は、確かにおいしいものの、コーヒーとはもっと心を込めて淹れるもので、マニュアル化されて効率化されるものではないというコンセプトをブルー・ボトル・コーヒーが体現するのに成功している点が話題の的です。



10月、東京・清澄白河に日本1号店がオープンします




このページは書き込み中です。更新は続きます。






2014年8月15日金曜日

「いま日本の一日はとてつもなく短い。」と一番長い日に思う。



またまた食品偽装が起こりました。いまもどこかで起こっているのでしょうね。
「木曽路」は利益のために幹部がしたという。幹部は患部に成り下げられる。
気の毒な話だ。
決して安い店ではない。ハレの日に、親に、子どもにと奮発をして食べる店だ。ファストフード店のように、自分のために利用しない。それを知っていて偽装するとは酷すぎる。働いている人には気の毒だが、潰れるべき店だ。「お客様の感動が私たちの喜びです」と恥ずかしいだろう。

「木曽路」は謝罪会見をしたが、朝日新聞は謝罪も謝罪会見どころか、謝罪すらしていない。辿れば、火のないところに火をつけて、靖国参拝をすれば批判が起こるようにしたのも朝日の報道から始まっている。

こんなことのために先人達は飲まず食わずで狂気の時代を走り抜けたのかと思うと悲しい。




私たちはハンバーガーを食べる幸福を無意識に満喫しています。

先日、「NHKスペシャル」でペリリュー島の攻防戦のドキュメンタリー「狂気の戦場 ペリリュー」を見ました。壮絶な戦場です。いまを1944年当時に実現できていたら、悲惨な思いをしなくて済んだのにと思わざるを得ません。

一万人の日本兵士の内、最後まで生き延びたのは僅か34名。瓶の中にサソリと蠍を入れて殺し合いをしたような戦場だったと生き残った方は語る。




ペリリュー島には戦争前に300機が配備されていました。

米軍はレイテ、フィリピンを陥落するためにペリリュー島が鍵だと読んで攻勢をかけます。1944年9月15日、長くても3日もあれば制圧できると上陸作戦が始まりますが、とてつもない地獄の戦場に変わり果てたのです。

抵抗に狂気が高まります。日本人の攻撃は凄まじく、米軍は当時最新鋭の武器で生きたまま日本兵を焼き殺します。

日本軍は忍者のように音もなく反撃し、米兵を切り刻み、死体のペニスを切り取り口に咥えさせます。それを見た米兵の憎悪は高まり、日本兵を殺しまくったと証言します。

憎悪の連鎖の果て、気を取り戻したとき、自身の精神は崩壊していたのです。

兵士の憎悪の連鎖は、国をあげた憎悪に変わり、人類史上最大の悲劇に発展します。


ソ連軍の満州侵略が始まり本土侵略は迫っていた。厭戦気分とソ連の動きに背中を押されたアメリカは終結を急ぎ、人道に適わぬと知っていたはずだが昭和20年8月6日、広島に原爆投下。続き長崎にも投下。日本は完膚なきまでに叩きのめされて、無条件降伏を受け入れる選択肢しか残されていなかった。




「日本のいちばん長い日」は、昭和20年8月14日正午の御前会議におけるポツダム宣言受諾の決定から、翌15日正午のNHKラジオにおける終戦の詔勅の放送までの24時間を描いた骨太なダイナミックな作品。

玉音放送を阻止するために、天皇を守る任務の近衛兵たちが、宮内庁に銃を向ける。半藤一利氏の綿密な取材と証言を基に再現する同名ノンフィクション作品を映画化した緊張感みなぎる傑作。監督・岡本喜八、脚本・橋本忍。そしてモノクロ画面にオールスターキャストが鬼気迫る演技で疾走する。




畏れ多くて面白いと言えばバチがあたりそうだが、ドキドキしてのめり込む。監督岡本喜八は男っぽい作風で名作を多発しているが、良い脚本に当たると素敵な化学反応する見事な事例。脚本家も同じで良い題材にあたるとやはり素敵な化学反応をする。素敵な化学反応に率いられた俳優陣怒濤の演技で、「いかに終わらせることが難しいか。」を画面いっぱいに漲らせる。

同じようなエネルギーを噴出させたものに「仁義なき戦い」があるが、スケールの大きさでは日本の命運がかかった「日本のいちばん長い日」に軍配があがるのは当然だ。

黒沢年男の演技がオーバーに思えるが考えてみると、焼土となることを省みない当時の青年将校の狂気に同期することは、いくら俳優だからといっても、そこまで要求するのが無理なのだと思う。それほど当時の人々は複雑に必死に狂気だったのだ。
立場は違うが三船敏郎扮する阿南陸軍大臣も同じだ。黒沢年男が銃を向ける加山雄三扮する玉音放送を流そうとするNHKアナウンサーも同じだ。(当時の加山雄三人気はスゴかった。)みんながそれぞれの立場で、責任を果たそうとしていた。
死に物狂いの一日だ。




いま、君は
国と国民を思い狂気になれるものがあるか?

そう突きつけられている気がする。



ストーカー、子どもに危害を与える事件、食品偽装。


いま日本の一日はとてつもなく短い。

その短さに驚愕し、語り継げていないことを反省する一日だ。







246万人の霊に哀悼の誠を捧げる気持ちを大切に。

2014年8月8日金曜日

「鬼畜米英」と戦争をあおり、原爆投下の引き金となった「ポツダム黙殺」大々的に報じた朝日はなぜ反日に転じ国民を貶めるのか?


従軍慰安婦問題をねつ造した朝日新聞


日本人の尊厳を踏みにじった被害甚大な

【朝日新聞の誤報とクマラスワミ報告】


クマラスワミ報告とは1996年1月から2月にかけて国連人権委員会に報告された「女性への暴力特別報告」に関する報告書(E/CN.4/1996/53) です。

この元になっているのが、全国各地でしゃべり、その後、一冊の本「私の戦争犯罪: 吉田 清治」です。
http://www.amazon.co.jp/私の戦争犯罪-吉田-清治/dp/4380832317 

後日、書いた自身がフィクションだったと語っています。

あろうことか、朝日新聞は確かな取材も行わず、このデタラメな本に基づき、32年間の誤報及びキャンペーンを展開しました。当時から取材したものの裏付けがとれないと言っていた朝日の記者もいたそうです。

なにより済州島の人々がそんな事実はないと語っていたのです。

朝日は自民党政権を倒すために何度もキャンペーンを張り、圧力に屈した宮沢首相は韓国に8回も謝罪し、河野談話に発展しました。この安易な妥協が後日にツケを回すことになります。河野談話の経緯は安倍内閣で調べ公表されたばかりです。

つまりデマを信じてキャンペーンを張り、時の内閣を追い込み、謝罪させ、その結果、妥協案として韓国の要望を聴き入れながら河野談話を作成。謝罪したのです。世界に恥ずべきはこの一連のことです。

これに対し、朝日の記事は何年も前から多くの識者、マスコミが調査の結果、デタラメだと問題視していましたが、このたび、よくやく間違いであることを認識しました。


マラン事件(白鳥事件)でも分かるように、日本軍の在り方は逆で、女性を強制的に連行した兵士がいることを把握した段階で、当時すでに罰して、戦後死刑にしています。しかし朝日は間違いを認めた後も、この事件を逆手にとり軍が強制的に連行したとでっち上げています。


従軍慰安婦問題をねつ造した朝日新聞

それにしても、「なぜ’、いまになって」という疑問は残るものの、いまになって一部誤報だと認めても、時既に遅く日韓の関係は悪化。


朝日の記事を受けてアメリカではクマラスワミ報告を基に「日本軍が20万人の韓国女性を性奴隷にした」というデマが拡散されて問題になっています。

日本人コミュニティが何度も間違いだと申し入れをしていますが、受け付けられず慰安婦像の設置が広がっています。

朝日は誤報だと認め、取り消すとしましたが、謝罪もなく、未だに英文サイト、英文新聞では報道していません。現実には反省はみられず「論点」をずらして、男尊女卑の思想を拡散しているようなもので、ますますおかしくなると予想されます。


抗議の著名にご協力を。http://nadesiko-action.org/?p=6558


青山繁晴が『慰安婦問題で朝日新聞が捏造認め謝罪』で「病的な嘘つき」と痛烈批判






一体、朝日新聞とはどういう新聞なのか

戦争を主導したのは朝日新聞




頷ける話です。というのも、鬼畜米英というスローガンを生み出し、戦争をあおりたてたのは朝日新聞なのです。

「ポツダム宣言を黙殺」と大々的に報道したのも朝日。
その後、広島、長崎に原爆が投下されました。

すべてが朝日の仕業とは言わないまでも、中立公正とは言い難く、メディアが戦争の後押ししたことはまぎれもない事実なのです。


この問題が、長い間「慰安婦問題」を誤報(ねつ造)を放置したことと因果関係があります。

「反日」の思想を臆面もなく展開し、「国民を貶めること」を恥じないの裏には「敗戦への憎悪」があります。軍部と密着して戦争を煽っていた張本人がなぜ、戦後「反日」に変身したのが、摩訶不思議ですがそもそもアメリカの誤算があります。

米軍の占領前の日本は邪悪な侵略国家であり、「米軍は日本国民を軍国主義者の抑圧から解放した救済者である」 とする 位置づけをして、思想工作、情報洗脳 を強力に実行します。その行動の一部に戦争を煽り続けた報道機関を粉砕することも含まれていました。

さらにGHQの初期統治方針により、日本の言論界、教育界 から保守派が一掃されます。つまり朝日、毎日は、思想工作、情報洗脳その先鋒に成り下がることで生き残りを図ったのです。その結果、元々の左翼勢力、及び転向者が両分野で 強固に根を張る結果になります。

しかしGHQの占領統治終了以降にあっては、アメリカは自らが扶植した反日、左翼勢力によって激しく攻撃される立場に陥ってしまいます。さらにアメリカの日本への敵意が弱まった頃、今度は 中国で共産党が優勢 を占めるようになり、 昭和24年(1949)10月1日 には遂に 中華人民共和国建国 が宣言します。

米国政界では 「中国保護のために日本を討滅したはずが、東アジアの共産化を防いでいた日本を崩壊させて、結果的に東アジアの過半を共産化させてしまったという反省が起ります。自らが擁護した 特亜(中国・朝鮮系)勢力、反日、左翼勢力に利用され拡大、再生産される皮肉に陥ります。

この問題は日米安保体制構築後の日本の針路を大きく制約することになりますが、現在に至るまで歪め続けています。その先頭にたっているのが、朝日、毎日新聞です。安倍首相が戦後レジュームからの脱却を訴えても、日本の未来図を描く事もなく朝日、毎日が執拗に反対を展開する裏には、意味不明な理解し難い「憎悪」が潜んでいるように思えます。






朝日新聞と従軍慰安婦問題


朝日新聞「慰安婦報道」が触れなかったこと