2012年1月3日火曜日

虹の彼方へ行く方法


幸福な成功を成し遂げた者は、毎日同じことを繰り返し言葉にして、繰り返し行動している。
どうだろう?
今日やるべきことを書き出してみよう。
もしそれが7つもあれば、生活のあり方を見直すべきだし、同時に自分のあり方を考えてみたほうがいい。
本気ならひとつしか書き出してはいけない。最大で3つだと思うが、ほとんどの社会人ならそうはいかないだろう。
心理学者ウィリアム・ジェムズは「 賢さとは、何を無視すべきかを知っていることである。」だと言ったが、人生を台無しにしたくなければそれに従うべきだ。

ある講演で、一番大事なことはなにかと質問された時、思わず「本気です」と答えた。
後で答えになっていないと思ったが、実は答えなのだ。
答えになっていないと思ったのは、質問者には理解できないだろうと思ったからだ。
もっと丁寧に答えるべきだが、それでは同じ話を最初からリプレイしなければならない。
ウ〜ン、難しいと思ったものだ。

仕事人間は、どんな小さなことも見過ごせない。
感情のコントロールが上手でない人も同じだ。
起きている間、常にアンテナを張りめぐらし、他人のたいして気にしていない言動にも、気を回してどんなことでも受けて立つ態勢を整えている。
それでは物事をシンプルに考え、生活を簡素にすることは決してできない。
自分の場合、旅をしながら仕事をして、人を愛して暮らすのが理想だと考えている。
その気持ち良さを体験したら、生活はシンプルが一番だと考えるようになっても無理はないと思う。
だからそのように時間をかけて創ってきたが、 願いが実現できたわけでもなく、まだまだシンプルになれると信じている。





私たちは、数えきれない種類の獲物を追う猟犬のように飼いならされている。
ほとんど人は、飼い主が誰かさえも分からないでいるが、自分には見当がついていて、そこからの解放を仕事にしているといっても言い過ぎではない。
私たちは獲物の臭いを片っ端から次々に嘆ぎとっていくが、決して獲物にありつくことはないようにできている。
やることはいっぱいだが、自分の気持ちの整理といえば全くお構いなしだ。
どこにでもゴミを捨てる人が増殖するが、心のゴミの始末も他人に押し付けて平気だ。
捨てられたゴミは税金を使って処理されるが、他人に押し付けたゴミは狂気を増殖させ互いに傷つけ合う。
こうして自分を忘れることに事欠かない都会生活者が暮らす都会からゴミの山になっていき、やがて地方に押し付けられる。
あらゆることが中途半端に終わる。
江戸城でも、大阪城でも、いまのテクノロジーをもってしても完成させることはできないことは明白だ。権力だけの問題ではない。集中力がまるで別物なのだと思う。
何が大切かを絞り込んだら、焦点を合わせて、枝葉のことは忘れなければならない。
大切な夢はひとつでいい。
大切な人はたくさんいるが、世界で一番はひとりしかない。
生涯一仕事。
それでいい。


70年前にこの<虹の彼方へ>にこめられた知恵は未だに活かしきれていない。
私たちは賢さを取り戻さなければならない。






2011年10月29日土曜日

 Think Different クレイジーな人たちがいる



Think Different クレイジーな人たちがいる
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クレージーな人たちがいる
反逆者、厄介者と呼ばれる人たち
四角い穴に 丸い杭を打ちこむように
物事をまるで違う目で見る人たち

彼らは規則を嫌う 彼らは現状を肯定しない
彼らの言葉に心をうたれる人がいる
反対する人も 賞賛する人も けなす人もいる
しかし 彼らを無視することは誰にもできない
なぜなら、彼らは物事を変えたからだ
彼らは人間を前進させた

彼らはクレージーと言われるが 私たちは天才だと思う
自分が世界を変えられると本気で信じる人たちこそが
本当に世界を変えているのだから。


2011年8月4日木曜日

もう一度、グリーン・ホーネット

■本当は失敗不可能という事実。

 比較的最近公開された映画「グリーン・ホーネット」は、古くからのアメコミを映画化したもので、1936年〜52年にかけては全米でラジオ放送、1966年からはテレビ放送され、ブルース・リーが助手のカトー役で出演しスターへの足がかりをつかんだ。

「グリーン・ホーネット」は他のアメコミと違い、主人公がまったくのダメ男だという点が特徴的だ。幼い頃から、父親には「失敗しては努力も意味がない。」と、顔を合わせる度に叱咤される始末で少しいじけている。悪と戦っていた新聞社主である父親が他界した後のある日、一念発起、武芸と発明の天才である使用人カトーを助手にして「グリーン・ホーネット」として悪に挑む。

 さて 「 失敗しては努力も意味がない。」は、とても重要な意味を含んでいる。なぜなら、ほとんどの人が行動を計画して実行するが、自分が果たすべき結果を出すことを忘れているからだ。つまり努力はしているが、結果を出すことを目標にしていないのだ。

「努力すると必ず報われる」という考え方もある。努力する人を支える効果はあっても、これだけではナンセンス。「何のために努力しているのですか?」と問われて「?」では
話にならない。グリーンホーネットの父の言葉「 失敗しては努力も意味がない。」のが正しい。

そこで、どうしても、結果主義と成果主義について考えが及んでしまう。
あなたは、結果主義と成果主義の違いをご存知だろうか?

努力を認めてほしいのが、結果主義。どちらかというとアマチュア発想だ。
一方、成果主義とは、
求められる結果を出すのが、成果主義。安定してメシが食えないと困るので、成果主義がプロフッショナル発想だ。

 努力しなくても結果を出せる人もいれば、努力したって簡単でない人もいる。 本当のところ、努力は関係ないのだ。 「グリーンホーネット」の父親が言うように、努力がテーマでなく、結果を出すのがテーマなのだ。つまりメシが食えるか、食えないか。この一点こそが重要なわけである。

どんな商売でもメシが食えるようになるには、勝たなくてもいいが、負けてはいけない、失敗しないことが生命線であり、結果を出すことが大切だ。だから自分でコントロールできないことに右往左往しない。自分にできることをやリ抜く。

自分にできることをやって、 求められる結果を出すのが成果主義であり、プロなのだ。人間はそのようにしかできないからだ。プロの博打打ちなら、自分でコントロールできない賽の目のことは考えない。生き抜く者にとって、考えても仕方のないことに自分を任せられない。考えて仕方のあることで生計を図る。

つまり張り方で絶対に損のしないようにする。だから自分にできることの領域を広げるのは武器をたくさん持つのに似ていて、それも日頃の鍛錬である。自分にできることの領域を広げるには基準を高くすることが唯一無二の方法になる。

誰でも自分にできる領域を広げるのは不安だ。不安を恥じることはない。誰だって同じだ。そこで絶対に失敗不可能なやり方を使う。

みなさんは、失敗不可能なやり方を知っているか?あるいは親、教師から教わったか?
簡単なことなのに、誰も教えない


失敗不可能なやり方がPDCAだ。うまくやれる方法が失敗不可能なやり方なのだ。
古今東西、いくら考えてもこれしか見当たらない。だからこれをやればいい。
PDCAは仕事の道具であり、人生に欠かせない道具だ。

1)まず目的を持つ。(目的はほとんどの場合、抽象的な表現になることが多い)
2)目的を達成するために、具体的な目標を設定する
3)目標を達成するために、具体的な計画を立てる
4)計画通りに実行する
5)実行の結果と計画のギャップを確認する
6)確認した結果を(観る、なぜ?どうする?)プロセスを経て反省する
7)反省とは自分を責めることではなく、対策することをいう
8)反省は次のPDCAの始まりだ。つまり反省とはやり直し計画だ。

この内、間違いを冒しやすいのが1、2、3で、次の部分だ。

まず目的を持つ。(目的は抽象的な表現になることが多い) 
目的を達成するために、
具体的な計画を立てる

なにをしたいのか、何のためにするのか、知ってはいても潜在意識にまで入り込まないので、やっている内に忘れてしまい、行動することに主体が移ってしまうのだ。知らず知らずに努力していることが重要になっている。繰り返すが努力はどうでもいい。 グリーンホーネットの父の言葉「 失敗しては努力も意味がない。」に意識を戻そう。

努力の重点が動くと、結局行動はしているが、計画したものとも違ってくる。計画したものでないと、それがどうだったのか、確認できなくなり、反省できなくなる。つまり、あきらめずにPDCAさえ回し続けていると、誰でも失敗不可能になることが、PDCAが空中分解するので、どうしたらできるのか分からなくなり、ストレスが高じて楽しめる状態ではなくなってしまう。

 先人が導き出した原理原則を無視するのはもったいないはなしである。昔、大阪→東京間の移動に、約15日かかったが、大正元年に鉄道で12時間に短縮された。現在は新幹線で2時間25分、 大都市圏の通勤圏内に迫る時間であり、 江戸時代なら同じ所要時間で144回も行ける勘定だ。 

そこで人の思考力も短縮されたか考えてみてほしい。物事の時間短縮は過去の経験やデータを元に飛躍的な変化を遂げた。人間力も同じく先人の知恵や工夫に学ぶことで短縮できる。すでに正解が出ていることについて、オリジナルにこだわり、学ぶことを疎かにするのは愚かとしかいいようがない。どんどん成功例を学び、真似できるところは真似をしたいものだ。但し原理原則から外れた成功例の場合は、たまたまだからこんなものは真似してはいけない。


 本題に戻ろう。PDCAを回せない理由には、次のような問題があるが、優先順位が曖昧なために、急ぐことを重視したり、手慣れた仕事に走ってしまうなど、PDCAを意識していないことが致命的だと覚えておきたい。

・やらないといけないことは知っている 

・なにをしたいのか分かっていない

・自分の感情をどうしたいのか

・優先順位が曖昧

 やらないといけないことを知っていても、なにをしたいのか分かっていないと、決心ができない。主体性がないと決心ができなくなるのは必至だ。どうしていいのか分からないので、やっているフリになってしまう、あやふやな感覚は心身によくない。せいぜい努力を認めてほしいという程度になる。

もともと心身が健康なら、 余程特殊な能力を必要とされることを除けば、 誰だって、なんでもできる能力を持っている。過去の経歴も成績も関係ない。そんなことは気にすることもない。

 なんでもできると言えば、人の気持ちはどうにもできないだろうと反論されることも多い。 そこで最近多い卑劣な犯罪「ストーカー」について考えてみたい。
 たとえばA子さんが好き。しかし、A子はこちらのことを何とも思っていない。 気を引こうとして アプローチするが効果はない。 PDCAを使って、 めげずに次々とアプローチを繰り返すが、全く見込みがない。「これでも失敗不可能か?」と指摘される事がある。
答えは、それでも失敗不可能だ。そもそも人間関係には「あなたと私は別人である」という境界がある。無断で越境することは人権無視である。ストーカーはA子恋しさに、絶対にしてはいけない間違いを冒す。このような間違いを冒さずに自分の願望を叶える方法がある。もともとA子に執着するのは、本来の目的を意識していない点にある。

我々はとかく人、モノ、金にこだわる傾向があるが、冷静に考えるとその先にこそ、自身が本心で求めている「感情体験」がある。A子に執着するのは、温かい人間関係を持ちたいというようなことが本心であって、それが叶うならA子でなくてもいいのだ。

そのことを自分が認識しているとA子に執着することもなく、ダメならPDCAを使って、他の人に期待すればよく、アプローチすればいいことだ。ストーカーに発展する人間には、この自己認識スキルが欠如しているので視野が狭く、考えても仕方のない相手の気持ちを無視して、嫌がる相手に執着して感情的な行動に暴走するのだが、なんとも分の悪い悪行だ。プロの博打打ちなら、まず考えられないやり方だ。

 ビジネスでも同じことが言える。売りたい商品と顧客が欲しい商品のミスマッチがあるのは常だ。売る側が商品に執着せずに顧客に喜んでもらうことを最優先に考えていくと、売れる商品は代替可能になる。 たとえばバッテリー液は買わないがダイヤモンドなら買うことも実際にあるのだ。 PDCAのサイクルで言う次の部分で失敗は不可能になるのだ。
5)実行の結果と計画のギャップを確認する
6)確認した結果を(観る、なぜ?どうする?)プロセスを経て反省する
7)反省とは自分を責めることではなく、対策することをいう
8)反省は次のPDCAの始まりだ。つまり反省とはやり直し計画だ。

PDCAのC(確認)の次のA(反省)に進むことは「どうすればいいのか」新しい可能性から再びアプローチすることを決定する段階だ。といっても、可能性の発見なので、間違いのない方法と断定できないが、「やってみよう」という曖昧さではなく、「やる」と決心することだ。「やってみよう」という程度ならすぐにあきらめてしまう。あきらめたら失敗は起こる。つまり失敗も成功も自分の選択でしかない。
 
ここで重要なのはうまくいかないやり方を一旦引っ込めて、新しいやり方に全力を注ぐことだ。うまくいかない時にそのままのやり方で、次の作業に進まないこと、引き継がないことは、指示するときや改善の鉄則である。
 
Aは、そのまま二度目のPにつながっているので、Aは二度目のPDCAの始まりなのだ。一定時間内にどれだけ内容の濃い PDCAを回せるか、迅速な動きが時間の浪費を防ぐ。
仕事において時間は永遠ではなく、限りがあることを認識しておかないとPDCAは機能しない。期限までに間に合うようにPDCAを回し続けて突破口を見つけるわけだから忙しいのは当たり前だ。それが分かっていたら「準備」の重要さが身にしみて分かる。その辺が新米とベテランのキャリアの差である。

 日常的に、自分のエリアを広げることも必要だ。つまり自分の基準を高くするのだ。それもこれも「努力してまっせ」で収拾がつかない世界で生きるプロの規範である。プロの規範等というと厳しく感じると思うが、 つまりメシを食うためである。絶対に負けることはできないのだから、運に任せず、自分にできることをするしかない。

案ずることはない。誰にでもできることだが、 目的がなにかが分かっていないと、決心できないので、不安だけが強くなり自分にできることさえ分からなくなるというようなことが起こってくる。そういう時は、本当のところ、自分がどんな感情体験を求めているのか、再認識してみるといい。それが目的だ。

たとえば「ついにやったぞ!こんなに気持ちのいいことはない」という気持ちを体験したいのか、「チャレンジしなかったから、何も変化は起こらなかった。つまらないな」という気持ちを味わいたいのか。自分の本心を知ることが決心の条件になる。自分の感情は出来事によってもたらされた結果ではない。自分の感情は出来事の原因なのだ。動機となった感情が結果の感情になる。楽しすぎる感情は楽しい感情の積み重ねの結果だ。

あなたは、なんでもできる能力を、すでに持っていることを忘れるなかれ。後はコミットメント(不退転の決意)さえすれば結果を出せる行動ができる。結果を出そうとして行動すれば求める結果に到達する。
努力を認めてほしいと思って行動している限り、結果は出せない。あなたに結果を出すのに十分な能力があるのに結果を出せない。なぜなら結果を出そうとして行動していないからだ。

 原因=結果である。原因つまり達成して愉快な気持ちになりたいという感情体験を目的(動機)にすると、結果も同じく達成して愉快な気持ちになれる。目的が潜在意識にあれば、必ず結果になって表れるのだ。感情(原因)=感情(結果)になる。なぜなるかというとあなたは自分の感情を大切にしてPDCAを繰り返し回し続けるからだ。なぜあなたは自分の感情を大切にするかというと、あなたが学ぶべき成功者と同じ人間だからだ。

人間は感情で出来ている。
人生(仕事)は時間でできている。
感情と時間を機能させるエネルギーが心身の健康である。

2011年7月27日水曜日

生きるスタイルが美しい人

楽しく暮らすとは感情を大切にして、より気持ちのいい感情体験を目的にすることだ。それこそが「自己実現」に他ならない。自己実現というとなにか大きな目標を達成することだと考える人がいる。そのため後ずさりして行動できなくなる人が多い。

感情の満足である。
あなたは誰かが作ったラブロマンスに涙するために生まれてきたわけでも、生きているわけでもない。参考にして映画のように生きてみるのはいい。でもそこまでだ、後は最高の感情体験をするために、クリエイティブに自分が行動するのだ。

そのためにPDCAを楽しむ。実は最高の感情体験をするためのプロセスにこそ、最高の感情体験を超える至福の感情体験がある。プロセスつまりPDCAというとビジネスのように感じる人がいる。

ビジネスとラブロマンスはどこが違うのか?感情の満足を目的にした人間関係でる点では変わらない。ビジネスはお金、他人事で割り切れると誤解しているか、自身がそうだからだろう。ほとんどの人がね。

それは本当の自分を抑え込むことに慣れる鍛錬になってはしないか。役割性格を育む力になっても、同時に「こんなものでしょう」と手抜き仕事を普通にできる麻痺の効果を働かす。

先日、原田芳雄氏が他界した。死の数日前に決して観客に見せたくなかっただろう変わり果てた姿を表した思いに「こんなものでしょう」は微塵も感じられない。彼にとって映画はビジネスだが、彼は感情を大切にした。その本物の感情に触れる時、私たちはうろたえながら幸福な気分になり、励まされる。ビジネスとラブロマンスの垣根はない。それは生きるスタイルの問題だ。

生きるスタイルが美しい人になりたい。夏目雅子が案つかしい。

2011年7月21日木曜日

グリーン・ホーネット



代表的なアメコミのひとつ「グリーン・ホーネット」の映画版に、「結果の出ない努力は意味がない」というセリフが繰り返し登場する。おバカ映画だけど、大事なことをメッセージしてくるね。

働き方には2つのポリシーがあり、結果主義と努力を評価する。成果主義は結果を出すことをモットーとする。成果主義がなかなか日本になじめないのは理解不足と伝統的な考え方が影響している。

結果を出せない努力に全く意味がないとは思えない。しかし改善するべきことはたくさん潜んでいる。目的、目標をどう考えているのか、再検証したほうがいい。

たとえば恋愛。人を好きになるとき、理由もなければ、時も場所も選ばない。一瞬の出来事である場合も少なくない。こんなとき、目的は?目標は?と訊かれても、「結婚したい」「交際したい」と明確な答えが出ることもない。だからと言ってそのままズルズル好きというだけでは、時間が過ぎていくだけでもったいない。

ズルズルの中で気持ちも好きという気持ちも固まり、恋しい気持ちは高ぶる。しかし目標のない行動は、ただ気を紛らわせているのと変わらない。漂流暮らしだ。これではいけないと限界に達するまで行動は起こらない。誤解されないように言っておくが、十分に考えずに行動することを奨めるわけではない。

目的と目標が曖昧なまま、気持ちだけが高じると「感情的な行動」に陥りやすい。
感情を大切にすることと「感情的な行動」は真逆の行動だ。感情を大切にして目的にしていたら、自分が何を求めているのかはっきりと明確になる。温もりのある人間関係を築くことが目的で、それを実現するために「あの人」という固有の相手との交際が目標になる。

 人はひとりひとり違うから、実際には目的も目標も想像以上にいろんなものがある。事実は小説よりも奇なりだ。それでも目標がはっきりしたら、自分がどういう態度、行動で接するのがいいか、具体的なイメージができる。互いに自分と相手を尊重するというごく当たり前のスタート地点に立てる。目的と目標が曖昧なまま、「好き」だけが疾走したらどうなるか、結果は明白だ。分らなかった荒れ狂う台風に氾濫する河川や海の映像を見たらいい。

私たちは、感情のために生きている。自分をどうしたいのか。感情を目的に据えて、行動を目標に置くのだ。原因があって結果になる。目的と目標に対する行動が原因になる。夢を実現しよう。



2011年7月4日月曜日

脱お金

節電の背景はされおき、どうせ節電するなら楽しもう。

楽しむには、はっきりとポリシーを持ったほうがいいね。
そこで思ったことは、長い間人類は課税される代わりにお金を使うことを強制され続けてきた。
課税もされているけれどね。言葉が国と民間で違うだけで、民間会社に支払うように、国に支払ってるわけだ。
消費税上げますという話は、値上げしますって話だ。

つまりもともと人間がやっていたことを、商品に変える作業を延々とやり続けてきたわけだよ。
そこでいい方法を見つけては海外から輸入して商品化してきた。

その挙句に、原子力という商品に欠陥があったというわけで、本当ならリコールするはずのことを、代替品ががないので我慢して使えというのが節電というわけだ。

そこで考えたんだが、なんでも自分でやるというのが、節電も含めたポリシーだね。
クーラーの代わりに団扇を使う。自分で自分を冷やすんだ。
当然、外食もしないぜ、もうこれからは。

よくよく考えると貧富の差って、いまは階級社会ではないから、能力の差というわけだ。取柄がないと困るんだよね。
で、お金を使わない暮らしになると、取柄の価値も変わる。

お金を使う社会を前提にしての価値だからね。
いいなりに節電するより、お金使わない生き方に変えますと生き方革命をやったらどうだい。
そっちの方が断然おもしろいだろう。

脱原発なって面倒くさいこと言ってないで、少なくともいままでの半分の支出で暮らしますって言えばどうだ。
失業する?
農業か、漁業したらいいだろう。無理な人がほとんどだろう。だったらお金と引き換えてに渡しているものの価値を変えるしかないんだよ。つまり、個人の取柄の価値が変わることを意味するんだよ。

脱お金を考えたら、今回の震災で被害を受けた人たちが、苦しんでいる正体がなにか見えてくるだろう。

団扇で風を送り込みながら、金輪際、金は使わないぞと考えている。

2011年6月15日水曜日

愛を乞う人




私は会社勤めをしていた頃は、直属の部下として300名ほどを抱えていました。その後も 仕事で多くの人と関わってきました。

何千人の人と関わってきました。
トップからアルバイトの方々まで、階層に関係なくいえることは、どんなに長所があっても、その人の弱点に引っぱられて、それが限界になっていることを強く感じます。

でもだからこそ生きることも働くこともすばらしいのだと思います。

先日「愛を乞う人」という映画をビデオで鑑賞しました。

この映画のような環境で育った方は5%はいるんじゃないでしょうか?
ここまで極端でない人になると、つかまえようのない数字になります。
むしろ、なにも問題のない家庭で育った方の方が少ないわけです。

でも、だからこそ、性格に依存しない仕事の仕方を求めていきたいと、その研究がいつしかライフワークになりました。





仕事をする上で、性格は重要になります。
ある人には出来ることが出来ないとというようなことが起ってきます。
人格の問題がトラブルになることは少なくありません

いろんな人を使って行く訳ですから、特に管理者は大変です、
人格や性格の問題にぶつかりながら、それが問題 にならない仕事の仕方を求めています。
そうすれば少しでも働きやすい、しかも効率のいい、周囲の人を少しでも多く幸福にできる仕事の仕方があります。

私は管理者の方にぜひ 「愛を乞う人」を見ていただきたいと思っています。
人はいろいろなんだと知っていただきたい。

先日も、ヒステリックな女性に悩んでいると相談を受けました。ヒステリー症状で、話にならない、みんなも敬遠するし、だけど生活状況を考えると辞めさすのも酷だと思い、どうしたらいいのか困っているとのことです。

女性は一流大学を卒業しています。読み書きはできるわけですし、考えることもできるのだから、正面切って話しなさいと管理者の方にアドバイスしました。
内心、そう簡単にはいかないと思いながらも、ひとまず、前に進むように促しました。

その女性は不安なんですよね。いつ自分がどうなるか分からないと思っている。
まず安心させてやるには、管理者の方の正直な思いを伝えることが先決だと思いました。
どこまでも続くかも知れません。しかし会社は学校ではないのだから、いつまでも個人の性格にふりまわされるわけにはいきません。
その問題の女性以上に困難な状況でも、黙々と働いている人もいるはずなのだから。

だからこそ、自分の思いを早く伝えて、いい方向に変えていくべきだと思いました。
だけど生活状況を考えると辞めさすのも酷だと思う優しさをぶつけていけば、必ず通じると信じています。
彼女が求めているのはそれだからです。
でも優しさだけでは仕事はできません。目標が達成できる技術が必要です。
それを教えるのが本当の優しさです。



愛を乞う人  (DVDはこちらから購入できます

製作年 : 1998年(日本)
配給 : 東宝配給

下田治美の同名小説を映画化。キネマ旬報ベストテン第1位および主演女優賞、国内のみならず、モントリオール映画祭では国際批評家連盟賞と、映画賞を総なめしている傑作。
悲惨な幼児虐待の記憶から逃げていた娘が50年後に、過去に対峙していく母と娘のドラマ。
わざとらしさが演出にも映像にもなく 淡々と描きながら見る者を釘付けにする傑作。

《監督》 平山秀幸
《出演》 原田美枝子、野波麻帆、小日向文世、熊谷真実


愛を乞う人  (本はこちらで購入できます) 原作 下田治美(角川文庫)